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長打を警戒するバッターではなかった。
ヨウヘイは、守りの定位置から懸命に走り、帽子を飛ばして――フェンス際でジャンプした。
白球は、彼のグラブに収まっていた。
ファインプレーに、甲子園が大歓声に包まれ、僕まで鳥肌が立ったのを覚えている。
あの時、スタンドに向かって見せたヨウヘイの笑顔以上に輝いた表情を、僕はまだ知らない。
「一度だけ、オレ、守備で活躍して……その時見上げたアルプススタンドが、生き物みたいに大きく波打って、生命の迫力っていうのを感じたんです」
あの7回ウラ。
先制のピンチを救った立役者は、僕らを振り返って、そんな風に感じていたのか。
ヨウヘイとは長い付き合いなのに、そんな話は口にしたことがなかった。
「――素敵な経験だったのね……」
夏美さんは、少し寂しそうに呟いた。
「負けちゃったんですけど、オレの宝物です」
ヨウヘイは笑顔だ。
あの試合、甲子園に棲むという魔物は、9回のウラに牙を剥いた。
0対0が続いた9回のオモテ、我が校の攻撃は、スコアボードに奇跡的な『1』を刻んだ。
あと、アウト3つ。
ベンチもスタンドも、祈るように叫んだ。
でもエースは、8回で限界を超えていた。
監督は、交代も打診したが、最後まで投げると言い切ったそうだ。
実は、控えの1年生投手は夏風邪気味で、本調子には程遠かったらしい。
エースは責任感の強い男だった。
9回ウラ、1アウト、フルベース。
絶体絶命のピンチ、相手チームの6番打者が打席に立った。この日、2安打している強打者だ。
エースは一番自信のあるストレートを選んだ。
渾身の一球――。
金属音を響かせて、またもやライト線に飛んだ。
ヨウヘイは、7回ウラのように走ったが、打球は彼の遥か頭上――真っ直ぐ吸い込まれるようにスタンドに消えて行った。
野球部の夏が終わった瞬間だった――。
「満開になったら、また見に来てもいいですか?」
庭に視線を投げたまま、ヨウヘイが静かに聞いた。
夏美さんは、すぐには答えない。沈黙が少しずつ重みを増していく。
「――ごめんなさい」
やっと絞り出すように、夏美さんは呟いた。
「もう……ここに来てはいけないわ」
「夏美さん……」
名前を呼んだものの、ヨウヘイの言葉は続かない。
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