第9章 噂という|徒花《あだばな》

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 その言葉で、言わんとしていることが分かり、自然と血の気が引いていくのを感じた。 「……その様子じゃ、嘉山も、あの噂知っているのね」 「だけど! 夏美さんには子どもなんていないだろ?!」 「バカ! 声、大きい!」 「――あ」  慌てて口を押さえる。周囲に人影はないが、いかんせん狭い校舎だ。迂闊なことは言えない。 「由美ん家にも来たって」  吉田は、階段の陰から顔だけ出して無人を確認してから、更に声を潜めた。 「確かに子どもの姿は見ないけど……警察が探している女性に、年恰好が似てるらしいわ」  母さんの話では、警察が探しているのは『半年以内に越して来た、30代の女性』――だっけ?  いくらこの町が片田舎だとしても、そんな人物は夏美さんの他にもいるんじゃないのか? 「吉田、隣町の事件って、知ってるか?」  一瞬、真顔になった吉田は、僕を見ながらゆっくりと眉を寄せる。 「……もしかして、知らないの、嘉山?」 「あー……うん」  信じられない、という目付きで眺めた後、吉田は壁に凭れて何もない床に視線を落とした。 「7月くらいじゃなかったかな、鍵のかかったマンションの部屋の中から、30代くらいの男性の腐乱死体が見つかったそうよ」 「フラン?」  昨夜の噂話では『変死』じゃなかったっけ? 「暑い季節だから。詳しく言わせないでよ」  ボソッと吐き捨てる吉田。脳内で漢字変換して納得する。 「……あー、ごめん」 「その家には、女の子と奥さんも暮らしていたのに、死体が見つかる少し前から、誰も見掛けていないらしいの。奥さんが事情を知っているんじゃないか、って、警察が探しているのよ」  夫の死体を残して、消えた妻子。  警察が動いているところを見ると、殺人の可能性も視野に入れているに違いない。 「……早川さんの名前、数人から上がっているみたい」 「夕べ、母さんも言ってた。オバ……婦人会で話題になっている、って」 「――大丈夫かな、加賀美クン……」  吉田の心配の相手は、当然だが夏美さんではない。噂話に傷付くであろう、ヨウヘイだ。 「とりあえず、教室戻ろうぜ」  言った途端に予鈴が鳴った。吉田が壁から背中を離して、身を起こす。
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