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<前書き>
はっきりいって、賢明なる読者諸氏にはお分かりだろうが、筆者にオリジナリティはない。
正直、大SF作家、故平井和正氏の幻魔大戦の熱狂的ファンすぎて、その以外の物語が書けないし、書く意欲もない。そうじゃなくなると途端に意欲が激減(半減どころじゃない)になくなってしまうのである。平井先生の言葉を借りれば”言霊が消えてしまう”といったところで。
そうじゃない場合、正直、平井先生の創造した魅力的な伽羅たちは勝手に物語をつむぎ出してくれるのである。
筆者は、彼らのつむぎだす物語の最初の読者なのである。
さらに、さらに、ここが肝心なのだが、
”どうにかして、百戦必敗の幻魔大戦を勝たせたい”という、死ぬまでにそういう物語が読みたい、
ならば自分で書いてしまえというのが、わたしのスタンスなのである。
だから、たとえば、この物語は、このように始まるのがふさわしいのかもしれない。
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全ての人生は、命は、そして青春の日々は、いずれも、掛け替えがなく、大事な輝かしいものであるということ。
それは、使い古された陳腐なセリフであろうと、しかし、それでもなお、真理である。
少なくとも、それを、その全てを失ったときにあっては、間違いないだろう。そしてまた、その渦中にあるときは、わずらわしいだけのことであったというのに。それもまた、おそらく古今東西変わらぬ感慨というものであろう。しかし、その愚かさのゆえに、しかし人は、日々を続けることが出来るのかも知れない。
泣き、笑い、怒り、悲しむ。その繰り返しの中で日々を生き、そしていずれ死んでいく。過去もまた、そして未来も、人が人である限りこの繰り返しが、時間であり歴史なのであろう。
それが、波の寄せ、遠ざかるような脈動を繰り返していく、その積み重ね。
では、その中で生とは、死とは。
地上の成分が集まり、一時に”人”の姿をとったものが自分であり、そして時を経て、その姿を失えば、世界に帰り、そしてまた別の誰かの姿の成分になる。
あるいは、別の植物、動物、あるいは鉱物の一部に成り代わる。
それが、輪廻転生の本義だったのではないか。
”彼”は、大いなるガンガーの流れのほとりにあって、長い修行の人生の中でその成分の変転を見たのであろう。
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