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高いボールを競り合うことさえなければ、少なくともグラウンドでは俊敏さで勝負が出来るサッカーは、小柄だが小回りが利く丈には有利だった。
しかし、こうした妙技を出すのも、天才とは程遠い丈にも至難の業なのだ。だから、プレーの間はしかめっ面になるのは、やむをえないといったところか。
「やったぜ~」いわゆるのドヤ顔になる。
どこまでできるかはわからないが、本場ブラジルに武者修行もやってみたいものだと思う。足が全てなら、俊敏さの利く二十五歳までが選手生命だ。
この時代、まだプロリーグのない日本では、社会人のリーグでってことになるが、その年棒は決して高くない。いくなら、世界だ。
南米リーグか欧州リーグが有名どころであるし、名の知れた有名プレーヤーが日本人のサラリーマンが一生かかっても稼げない金を一年で獲得するのも、少なくない。
望むべくは、やはり欧州か。丈のサッカーのお手本は南米系のペレやマラドーナ辺りなのだが、行くなら、欧州だと思っている。南米から欧州に出稼ぎに行っている名選手も多い。
日本辺りの選手では、そうしたスカウトに引き抜かれる可能性は絶無。ならば、自分は研究生として、二部リーグのチームにでももぐりこんで、なんとしてでも這い上がる。
根性では、誰にも負けない自信のある丈だった。
”サッカーは格闘技だ”という日本の大先輩の言葉がある。”おとなしくしては、試合に勝てない”という意味だと思っていたが、その発祥の暦史を見ると、本当か嘘か、敵将の首を蹴って運んだ故事があるとか。そういう戦争のような競技なのだと、丈は胸落ちしたのだ。
フォワードは、敵陣に切り込む一番槍の隊長である。容赦する必要なし。
それは中学生あたりには禁じ手である”ラフプレー”も辞さずというところがあった。それには、小学生時代に弟とともに学んだ柔道の効能がある。
”相手の重心を崩して倒す”それが柔よく剛を制すの極意なのだそうだが、現実問題として体格の大きいものにはかなわないことがわかり、早々に丈はリタイヤしたが、そのときの小技が、思わぬところで役に立つ。審判の目を盗んで、プレーの最中に相手を蹴倒す。これは、れっきとした技なのだと、丈は理解していた。
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