屍へ、はなむけを囁く

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次から次へと溢れてくる涙を手の甲で拭っていると、ふいに隣からクスクスと笑う声が聞こえた。 「鼻水出てんぞ」 「っ、デリカシーのないこと言わないで下さい!」 「デリカシーも何も、本当のことなんだから仕方ねえだろ」 ほら、こっち向けよ。と頬に添えられた大きな手に、ドクンっと心臓が脈打った。 手にしたティッシュペーパーで、だらしなく垂れた私の鼻水を丁寧に拭き取ってくれる。その手つきはまるで腫れ物に触れるように優しく、とても繊細だった。 伏せられた瞼を縁取る長い睫毛をぼんやりと見つめながら、気付けば口が勝手に動いていた。 「…ひとつ聞いてもいいですか」 私の問いかけに反応したその人は伏せていたそれを上げ「なに?」と先を促しながら、その切れ長の瞳に私を映した。 「…貴方は私の名前、知ってるんですか?」 そう聞けば、その人は“そんな事か”と言わんばかりにクスっと笑い、そして「知ってるよ」と答えた。 どうしてこの人が私の名前を知っているのか。心に引っ掛かる事は増えていく一方なのに。 それを明白にする事よりも私は、 「…一回だけ、呼んでみて下さい」 それを、望んだ。 どうしてだろう。 どうしてか分からないけれど今聞きたいと強く思った。 この人の声に紡がれる私の名前が。 今、聞きたい。 「…お願いします」 「……」 服の裾をギュっと握っては懇願するようにそう言う私を見下ろしたその人は、次第に薄い唇をゆっくりと動かした。 「…純恋(すみれ)、」 そして、まるで当たり前のようにその音を弾いた。
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