陰獣の街

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 助けて。誰か助けて! ごめんなさい、ごめんなさい!  ……幼少の頃から心の中に叩き込まれた恐怖心が、由美子の全身を覆いつくそうとしていた。それは今まで味わった事のない、真の恐怖だった。歯がカチカチと音を立てて鳴りそうになり、由美子は慌てて自分の手を噛んだ。上下の歯がたちまちがしっと腕に食い込んだ。血が出そうなくらい、肉を食い千切ろうとせんばかりに、自分の歯はガクガクと振るえ続け、腕を噛む事を止めなかった。お願い、お願い! 早く通り過ぎて!  その恐怖は、とても長時間耐えられるものではなかった。早く、早く! 由美子の願いとは裏腹に、「それ」はいつも以上にゆっくりと移動しているように思えた。隠れている由美子の存在を知っていて、わざとそうやって由美子の恐怖を煽っているかのように。普段はほんの四、五分に思える時間が、今の由美子には永遠に続くかとすら思えた。しかし。やはり、「終わり」はやってきた。  ずしん! ずしん……  地響きはゆっくりと、家の「右側」へと移動し。そして、その音も振動も、ほんの少しずつ和らげながら、由美子のいる位置から遠ざかり始めた。良かった。良かった……由美子はまだ腕を歯で噛み締めつつ、ようやく訪れた「解放の時」に涙しそうになっていた。でも、泣く事は出来ない。由美子は耐えた。  もうどれくらい、どのくらいの事を耐え続けているのだろう。でも、あと少し。ほんとに、あと少しの辛抱よ! ここまで必死に耐えてきた事を、今さら無駄にしたくはなかった。ゆっくりとした地響きが、家の前を、家の右側へと、通り過ぎていくのを。由美子は全身がバラバラになりそうなくらいの恐怖心と戦いながら待ち続けた。  ずしん。ずしん……  地響きは、通り過ぎた。家の前を。はっきりと、それが自覚出来た。自覚出来た瞬間、全身を覆いつくす恐怖に飲み込まれていた由美子の心の中に、ほんの少しだけの勇気が芽生えた。ここまでは、予想通り。自分が考えた通りに来ている。後は……。由美子は壁にもたれ縮こまった体を、少しずつ、ゆっくりと動かし始めた。そして、音を立てず、這うようにして、家の「左側」へと進んでいった。
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