陰獣の街

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  意外にも、由美子の母親が、由美子の希望を後押ししてくれた。まだ幼い頃に父親が死に、母一人娘一人でずっと暮らしてきた由美子にとって、それは何よりありがたく頼もしい援軍だった。そして、由美子の母がそう言うならと、やがて周囲の者も由美子の希望を認めてくれたのだった。  そしてその後、由美子は外の街へ出た時の「諸注意」を、イヤというほど聞かされた。まず、外部で「それ」の話をしてはいけない。「それ」の事を知らぬ者に語ることにより、「それ」の行動範囲を広げてしまう。他の街へと移住する事と同様、そういう怖れがあるという言い伝えがあるのだと。もっとも、その「言い伝え」がなくとも、由美子は街の外でそれを語るつもりはなかったが。この街に住んでいる者でない限り、「それ」の存在は、到底信じられるものではないだろうから……。  それから、仕事の後は、必ず七時前には街に戻ること。警報が鳴る、鳴らないに関わらず。もし帰れないような事態になったら、その夜は街に戻らず、次の日になってから帰ること。由美子はその言いつけに従った。その「禁」を破れば、せっかく得た外での就職の許可を、反故にされる恐れがあると思ったからだ。 そしてもちろん、「それ」に対する恐怖もあった。外の街へ出て行くという事は、それまでのように、家の中で安全に「それ」から身を隠す事が出来なくなる怖れがあるという事であったから。街のしきたりに疑問を抱きつつも、体に染み込んだ「それ」への恐怖心は拭いきれない。  もしかしたら、外の街で仕事を始めれば、昼間の間だけでも新しい環境に身をおけば。その恐怖心も少しは薄れるのではないかと期待していた由美子だったが、やはりそれはなかった。どこにいようと、「それ」の存在は、すでに由美子の生活の、いや、由美子の体の一部になってしまっていたのだった。 その事がまた、由美子の心を苛立たせた。なんとかこの現状から抜け出す事は出来ないのか。このしきたりから、この恐怖から逃れる術はないのかと、由美子はいつもそう思っていた。
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