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「いらっしゃい」
茶屋の亭主は優しい笑顔を浮かべながら、三人を迎え入れる。
「あっしは団子を二本」
「おれは饅頭三個だ」
「そちらは?」
十蔵と清海の注文を聞き終えた亭主が由利に声をかける。
「団子と饅頭、あとは茶を頼む」
「すぐにお持ちいたします。少々お待ちを」
外にある縁台にしか座る場所がなく、十蔵と清海はどかりと腰を下ろした。由利はしかたなく清海の隣へと座る。
しばらくして、茶屋娘が「おまたせしました」と注文の品を持ってきた。まずは清海が菜饅頭をほおばる。
「うん、うまい!」
あっという間に、一個目の菜饅頭がなくなってしまった。
十蔵も団子に夢中だ。
由利は黙々と食べ、茶をすすっていた。
ふと、三人の前に茶屋の前を着流しに脇差を差した五人ほどの男たちが通りかかる。
彼らは足を止め、ひそひそとなにやら話し始めた。
「……なんでやんしょね?」
十蔵が呟くと、男たちは三人に近づいてきた。
「お前ら、ここのぼんくら領主の家臣だな?」
(……旧臣楼に雇われたやつらか?)
由利は冷静に分析する。二個目の饅頭を食べ終えた清海が口を開きかけたが、十蔵が目で「黙っているでやんす」と制した。主君をぼんくら呼ばわりする不届き者たちに応える義理はないからだ。清海は不満げな表情を浮かべながらも、黙って茶をすする。
「おいおい、無視すんじゃねえよ」
からんできた男が由利に目を向け、顔をのぞき込む。由利は体ごと目を逸らすが、男は反対側へと回りこみ、再び顔をのぞき込む。目を逸らしては、のぞき込む。そんな攻防が続いたが、しびれを切らした男が頭巾に手をかける。その手は払い退けられた。
「そんなに嫌がるなよ。――なぁ?」
男はしつこく頭巾を取ろうとする。由利は激しく抵抗した。
「やめるでやんす!」
「やめろ!」
見かねた十蔵と清海も制止したが、抵抗むなしく白頭巾が取れてしまう。
「さあて、どんな顔か、な……」
頭巾を奪った男とその連れたちは言葉を失った。
行き交う人々も、奥で様子を見ていた亭主さえも、その艶やかさに釘付けとなる。
くせっ毛で異国人の特徴である金髪がゆったりと背に流れる。真紅の瞳と透き通った白い肌が、妖しい色香をまとわせていた。――ごくり、と誰もが息を呑んだ。その大半は、あまりの美しさに。十蔵と清海は、由利の怒りが爆発しないかという恐怖に。
天女が鬼女(男だが)に変わろうとした、その時だった。
「おーい、ゆん」
なんとまあ、のんきな声が飛んできたのである。
由利の怒りがそがれた。
行き交う人々が思わず声のした方向を見る。
途端に、女たちは頬を赤く染め、男たちは嫉妬に満ちた目を向けた。
逆立った赤毛、少し野性味溢れる顔。左目は由利と同じ真紅の瞳であり、右目は包帯が巻かれている。上品な紫の着流しを右袖だけ通し、見える胸板は鍛えぬかれ、さらしが巻かれている。ほどよく筋肉のついた両腕には防護のための細い白布が幾重にも肘上まで巻かれている。腰には黒塗りの鞘に収められた鍔の無い打刀と脇差。そして顔、首、二の腕にまじないのように刺青が這っている。――名を根津甚八。絵師兼化粧師にして、もと海賊。由利の相棒であり、彼とは浅からぬ縁を持つ男だ。
「ちょいとごめんよ」
根津は男たちではなく清海に断わりを入れ、由利と清海の間に割り込み、腰にある打刀と脇差を足の間に挟むようにして座った。
「追いついてよかった。まさか、茶屋にいるとは思わなかったけどよ」
「こいつらのせいだ」
顎をしゃくる由利。
「十蔵、清海。お前ら、もう頼んだのか?」
「……それを食べてるところでやんす」
「そっか。――すいませーん。俺にも団子を二本。土産に饅頭三個包んでくださーい」
亭主はこんな状況で注文をする根津に戸惑ったが「はい。ただいま……」と返事をする。
根津はふと思い立ち、
「あっ、そうだ。ついでに伊三と千代にも買ってやるか。――すいませーん。追加で別途、饅頭を二個。土産もので」
さらに追加注文を出す。店の奥から「は、はい」と亭主の声が聞こえた。男たちを眼中に入れない根津の態度に十蔵は気が気でない。それは茶屋の亭主も同じらしく、ちらちらとこちらに視線を投げてくる。
「お、おまたせしました」
「ああ、ありがとう。これ、代金な」
根津は注文した団子二本と菜饅頭を三個と二個に包んだ包みを受け取る。代金を渡すと、亭主はそそくさと奥に引っ込んだ。
「なんか、感じわりぃな」
包みを懐にしまった根津は団子を口にし、もごもごさせながら由利に尋ねる。
「そういや、ゆん。頭巾、どうしたよ?」
「……目の前にいる強面のお兄さんに取られた」
由利の指摘に、ようやく根津は目の前を見た。男の手には白頭巾が。
「ようやく話ができるな。刺青の兄ちゃんよ」
根津は悠然と茶をすする。
「知り合いか?」
「そんなわけないだろ」
「――だよな」
まったく相手にしていない。
根津は団子をすべて平らげ、茶をすすり、ひと息つく。
「よし! お前ら、帰ろうぜ」
十蔵と清海はその発言に目を丸くした。
「か、か、帰るってどこに?」
「うん? 帰るって言ったら、城だろ。土産も買ったし。もう用はねえだろ?」
(いや! 目の前のことが終わってないでやんす!)
十蔵は心の中で叫んだ。そして、散々無視され続けた男たちの堪忍袋の緒がとうとう切れた。
「てめえ! なめてんじゃねえぞ!」
男たちが殴りかかってきた。そこでようやく、根津が彼らに視線を向ける。赤々とした隻眼と目が合った瞬間、背筋に悪寒が走った。彼らは殴りかかった体勢のまま、動きを止めた。静止している男たちの額から脂汗が滲んだ。
根津は彼らにかまわず、打刀と脇差を左腰へ差し直し、
「――よし! 行くぞ、野郎ども」
歩き出す。
由利も立ち上がり、彼の後に続く。
十蔵と清海は目の前の男たちを見た後、二人を追いかけた。
四人が去った後、
「あの……お客さん?」
亭主が声をかけた。
――ぐらり。
止まったままの男たちは糸が切れたように、ばたばたと倒れていく。
「ひぃっ!」
亭主は悲鳴を上げ、腰を抜かしてしまう。行き交う人々の注目を集めた。
(な、なんなんだ! いったい!)
亭主は四人が去って行った方向を見る。彼は心の底から願った。
二度と来るな、と。
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