六文銭の十本刀/1

1/2
131人が本棚に入れています
本棚に追加
/41ページ

六文銭の十本刀/1

 翌日の昼下がり。――上田城、本丸。  霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)は主君、真田幸村(さなだゆきむら)に呼び出され、謁見の間にやってきた。 「才蔵、参りました」  ひざまずき、呼びかける。 「入れ」  障子の向こうから主の声が聞こえた。 「失礼します」  才蔵は主の前に座し、頭を下げる。 「楽にしてくれ」  そうもいかない。  相手は友人である前に、仕えるべき主君だ。礼節はわきまえなければならない。――体でそう語る才蔵に幸村は肩をすくめた。 「今日は家臣としてではなく、友として聞いてくれ」  才蔵は頭を上げた。眼前に座す十八歳の若き主君は、黒みがかった栗色の髪を持ち、目鼻立ちがよく、凛々しい若武者そのものだ。だが橙色の瞳は優しさを湛えており、柔和な印象さえ与える。 (……おや?)  ふと気づく。主君のそばにあるべきものがない。 「幸村さま。いつも、あなたの傍にいるはいずこに?」 「お前……。補佐すべき頭領に向かってはないだろう」 「失礼いたしました」  才蔵は詫びを入れ、切り出した。 「――して、私を呼び出したのは?」 「その頭領のことで相談したいことがあるんだ」  才蔵は肩をすくめる。その表情は「またか」と言わんばかりだ。 「――海野翁(うんのおう)からですか」 「ちがう」  意外だ。他に考えつくのは海野の孫娘、(かえで)だが、彼女は佐助と顔を合わせるたびに、きっちり口げんかをするので却下。となると、彼女の弟である小六(ころく)か。もしくは、他の勇士たちとも考えたが、どれも可能性は低い。 (もしや、これは本当にただならぬことなのでは……!)  才蔵の顔に緊張が走った。そんな矢先、幸村が言い放つ。 「――佐助がおかしいんだ」  才蔵は目を瞬かせた。 「……は?」 「だから、佐助がおかしいんだ」  幸村はもう一度言った。今度は力強く。  拍子抜けする才蔵。やがて、その肩が激しく震え始めた。 「……なにを言い出すかと思えば、ばかばかしい」 「さ、才蔵?」  恐怖する幸村を才蔵は鋭く(にら)みつけた。紫電(しでん)双眸(そうぼう)からは怒りが迸っている。 「おかしいだらけですよ! あの猫は!」 「ね、猫?」 「そうですよ! 頭領らしい仕事はしない! 飯を食ったらごろごろ! 起きている間は、あなたにべたべた! これを猫と言わずになんと申しますか! いっそのこと『猫飛(ねことび)』に改名すればいいんですよ! どこが『猿飛(さるとび)』ですか!」 「お、お前の言い分はわかった。と、とりあえず落ち着け。な?」  もう、そのぐらいで……と(いさ)める幸村。だが止まる気配は微塵もない。拍子抜けした分だけ、よけいに。また日頃の鬱憤(うっぷん)もあるのだろう。才蔵はここぞとばかりにまくし立てる。 「だいたいですね! 海野翁がいくら注意しても態度は改めないどころか、今では右から左へ聞き流す始末! 豚に真珠! 猫に小判! 馬の耳に念仏ですよ! そもそも幸村さま! あなたがあいつに甘すぎるのも原因のひとつです!」  才蔵は怒りに身を任せ、すべてをぶちまけた。幸村は相槌を打つだけ。胸に針を刺されていくかのような痛みに、ただと耐える。  それから数分、ぜえぜえと才蔵の息が上がった。  さすがに怒りはおさまってきただろう。  おそるおそる、幸村は尋ねた。 「……気はすんだか?」 「は、はい。お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」  才蔵は息を整えようとする。茶が欲しいと思っていたら、 「はい。どうぞ」  明るい声とともに、頃合いよく茶が差し出された。 「あ、ありがとうございます」  才蔵は差し出された湯のみをかっさらい、一気に飲み干した。ひと息つく。 「すみません。もう一杯――」  途端、湯のみが手から離れた。  それは瞬時に、茶を差し出した片手に受け止められた。 「あっぶないなぁ。さいちゃん」  緋色(あけいろ)の長い髪と幸村と同じ色の瞳。底抜けの明るさを含んだ口調で才蔵を『さいちゃん』と呼ぶ、幼い顔立ちをした小柄な青年――幸村に仕える勇士たちの頭領が、そこにいた。 「さ、佐助! お前、いつの間に……!」  才蔵だけでなく幸村も佐助の出現に驚く。 「ここを通りかかったら、さいちゃんがすんごく怒っているんだもん。怒った後は喉が渇くと思ってさ。お茶を淹れてきてあげたの。――おれ、えらいでしょ」  若さま褒めて褒めて、と言わんばかりの佐助に幸村は苦笑するしかない。対して、才蔵は佐助を冷静に観察していた。別段おかしいと感じることはない。普段どおりだ。主君の思い過ごしではないか、そう思っていた矢先のこと。 「ねえ~、さいちゃん」  佐助の上目遣いと猫なで声に、うすら寒いものを感じた才蔵は、つい身構える。 「な、なんですか?」 「おれがさいちゃんに押しつけた仕事ってどれくらいあるの~?」 「しょ、書面がざっと二百枚ほど……」 「そっか。それなら、おれがやるよ」 「えっ……?」  意外な申し出に面くらう才蔵。  本来なら「あなたの仕事ですよ!」と怒鳴るところであるが……できなかった。 「だって。それ、おれの仕事でしょ? だったら、おれがやらなきゃ」  ますます目を剥いた。  思わず「なにか悪いものでも食べたんですか?」、「頭でも打ちましたか?」と間抜けな質問を投げかけそうになったが、と呑み込んだ。そのかわり、こう返す。 「……い、いいんですか?」 「うん!」 「わ、わかりました。私の物書き机の上にありますから、持っていってください」 「おれ、がんばるよ。――じゃあね。若さま、さいちゃん」  思い立ったが吉日のごとく、鼻歌を歌いながら出て行く佐助。  それを茫然と見送る才蔵。  しばらくして、ようやく正気に返ったのか、幸村に真顔で言った。 「……幸村さま。たしかに佐助はおかしいです」
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!