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放課後、間宮は教科書を丁寧に鞄にしまうと、足早に教室を出た。風の冷たい午後だった。ぐるぐる巻きにしたマフラーで、間宮の口元は見えなかった。見えたところで、きっと真一文字に結ばれているのだろうけど。
間宮が向かったのは、「三雲」と表札の出ている家だった。インターホンの前で一瞬躊躇い、小さく息をついて決心したように呼び鈴を鳴らした。程なくして、人の良さそうな女性がでてくる。彼女は間宮を歓迎するようにぱっと笑顔を浮かべ、中へ誘った。小さく会釈をしてから靴を脱いだ彼女に続いて、僕も家の中へ。ただいま、なんて息にもならない言葉を吐いて。
「ごめんねえ間宮ちゃん、大したものも出せなくて。研究の方も、忙しいんじゃないの。」
本当に申し訳無さそうに、間宮を迎え入れた女性__僕の母親はそう言った。
「いえ、おばさまの淹れてくれる煎茶、好きなので。それに研究はひと段落したんです。先端科学研究所の頑固おじさんには、見向きもされませんでしたけど。良いと思ったんですけどね、マジカル・チョコレート・ミラクル計画。」
「あら、随分と可愛らしい名前なのね。間宮ちゃんは確か、生命科学の研究をしていたのだっけ?」
突飛な研究名を笑うこともなく、母親はそう言った。それに対して間宮も穏やかに答えた。
「ええ。チョコレート型の小型記録デバイスにできるだけの遺伝情報、思考、思い出を書き込んでその人を再現し、思考パターンから成長まで促す技術。受肉に関してはまだ倫理的な問題が残りますが、事実上、人間を蘇らせることができる。略称はMCM計画。みくも計画、なんて、寒すぎますかね。」
照れくさそうにそう言うと、湯呑みのお茶を飲み干しキッチンに向かった。
「台所お借りしますね。今日は寒いから、ホットチョコレートを作りたくて。」
手早く調理を済ませると、間宮はマグカップ片手に、僕の仏壇の前に正座した。少し迷ってから、間宮はマグカップを僕の遺影の前、完全な状態で保存された脳の隣りに置いた。
「ねえ三雲、もう少しだよ。もう少しでまた君と、話ができるんだ。」
肩を震わす彼女の表情は見えなかったけれど、僕は彼女のことを、この上なく愛しいと思った。窓の外では強い風がゴウゴウと唸りを上げて吹いていたけれど、僕の透明なはずの心は、込み上げるぬくもりでいっぱいになっていた。
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