第一話

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 四月某日、転校初日の朝。  (…流石に混むのは、どこも同じか。)  満員電車の中、吊革に掴まって揺られながらスマホを弄る。  春の麗らかな陽射しは、人の密集するこの空間にはどうにも暑く、煩わしい。  人は暑くなると汗をかく。それは自分としても非常に不快だが、ともすれば他人にも不快感を与える。  (いや、不快感だけならまだいい。けれど『香り』が漏れたら…)  考えていると、ああほら。隣の中年男のうなじから香ってくる。加齢臭などではない、辛みの強いシナモンの香りだ。  ──人には、それぞれ固有の『香り』がある。  それは花の香りだったり、土の香りだったり、甘いお菓子に似た香りだったりもする。  はるか昔、人間がまだ動物だった頃のフェロモンの名残りだという説が有力だが、未だに厳密な原理は解明されていない。  だが、フェロモンが元だと言われれば頷ける。性の多様化した現代日本においても、香りは愛する相手を探す時の決定的な指標になるからだ。それこそ、自分の香りにコンプレックスを感じた人達のための『整香』手術なんてのもあるくらいだ。  また、強すぎる香りは相手を不用意に興奮させてしまうとされているため、日本やその他先進国では、公共の場では香りを抑えるためのスプレーやアクセサリー型の防臭グッズを使用することを義務付けられている。…それでも、激しく発汗すればスプレーくらいじゃ抑えきれず漏れ出してしまうこともあるのだけれど。  (まぁ、シナモンくらいでよかった。これが甘ったるい生クリームの香りだった日にゃ……想像するだけで吐きそうだ)  そんな風に思考を泳がせていると、 ふっと別の香りが鼻を擽った。  (…ああ、どうりで男だけがそこに固まっていると思ったんだ)  よく見ると、男が数人固まった中心に、自分と同じ制服を着た少女がいる。この香りはあいつから発せられているらしい。動きはよく見えないが、男達の様子からして体に触れられているのだろう。  たまにいるのだ。ああして香りを振りまいて男を誘い、春を売る輩が。  男達以外の人間は、あちらを一瞥はせど関わろうとしない。ああいうのは関わる方が馬鹿を見るだけだ。  そう決め込んでまたスマホに集中しようとした。…はずだったのに。
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