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この戦については秀吉側がまったく資料を残さなかった。それほど異常な戦いになったわけだが、この時点で官兵衛はこのような小国なぞ簡単に落とせると高を括っていた。資料がないため、総大将がだれなのかは定かではない。しかし、名のある武将であったことは確かであり、一説には長宗我部元親とも言われている。そして総大将の御曹司が若き副将として陣頭指揮を執った。官兵衛は、勝ち戦が確実と思われた小国攻めを経験させ、初陣に花を持たせようと計らったのだ。
その国の名前すら資料には残っていない。が、生き残った一族は自らを耶磨登と名乗ったことから、ここでは国の名前もそう呼ぶことにする。
そろそろ梅雨入りというジメジメした季節、耶磨登の山城に遠くから時の声が聞こえてきた。殿様は櫓に上りあたりを見渡すと、国境にあたる川の対岸に黒田軍の陣が見えた。その数、数千。川沿いに弓隊が並び、両翼に騎馬隊、その後ろに長槍を掲げた足軽隊がやはりほぼ横一列に整然と並んでいた。鶴翼の陣というよりも、強力な軍を見せつけた威嚇であった。小雨の降る天候のため鉄砲隊はおらず、温存されていた。若き副将が最終通告として伝令を送った。
耶磨登の山城の中は大わらわだった。とにかく、戦をしたこともない連中である。槍や刀はさび、弓の弦は切れ、軍馬もなく、短足で温厚な農耕馬を集め慌てて鞍を付ける始末である。それでも戦仕度を進めながら、殿様は家来を妖術師の元に走らせた。戦うべきかどうか占わせるためであった。妖術師の答えは『否』であった。これはもちろん『戦はするな』という意味であったが、殿様は何を思ったのか『降伏はするな』と解釈し、官兵衛の伝令に伝えてしまった。副将は川沿いの主力はそのままに、分隊を小出しにしては小競り合いをさせ、山城に圧力をかけた。
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