天正十四年、肥後熊本

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天正十四年、肥後熊本

 時は戦国、群雄割拠の時代、強者が弱者を攻め、領土を拡大してゆく、弱肉強食の時代だった。そのころ九州は自治都市博多は別格として、豊後大友、肥前龍造寺、そして薩摩島津がにらみ合い、まさに一触即発、いつ大戦(おおいくさ)が始まってもおかしくはなかった。  さて、その三つ巴の勢力がちょうど及ばないところ、肥後は熊本の深い山間(やまあい)に小さな国があった。一応山城はあるものの、戦国の世にあっても(いくさ)とは無縁で、代々続く領地を守って長年平和に暮らしていた。代々、というのはどのくらい昔からかというと、日本がまだ大和の国とよばれていたころ、卑弥呼という女王が君臨していた時代からだった。  そのころは妖術師とか祈祷師とよばれる霊能力者(シャーマン)がいて、何か大事な政治的な決め事があると、亀の甲羅を火であぶってできるヒビの入り具合で占ったり、雨が降らない日が続けば雨乞いをしたりと、日本中がまあ、オカルトな時代であった。彼らは陰陽師と名を変えながら、平安時代にいたるまでの長い間、政治を左右するほどの力を有していた。しかし、源平の時代になると武士が世の中を仕切るようになった。武士というものは自分の力しか信じない連中だから、占いや迷信のたぐいはやがて(すた)れていった。  ところが、この肥後の山奥の国は外との接触もほとんどなかったせいか、戦国の世になって久しいのに、いまだに妖術師がいて、ことあるごとに亀の甲羅を持ちだし、雨乞いをし、民の病を怪しげな薬で治療していた。攻め入られることがなかったのは、元々があまり豊かな土地ではなかったこともあるが、やはり周囲の国からは何やら無気味がられ「触らぬ神に祟りなし」と避けられていたようである。
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