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訊かれることは、ひとつだけ。
散髪している最中に、店主が、鏡ごしに訊いてくる。
お客さん。
お客さん。
お客さん、何枚ですか。
一枚と言って、名前を告げると、そいつを「刈って」くれるそうだ。
店主の手には、バリカンが握られていて、刃のあたりがじんわりと血に染まるという。
はっ、と僕は噂も、自分の行動も馬鹿らしくて笑えて来た。
そんな理髪店、あるはずがない。
枚数に応じて人がいなくなる、といかにも、言いたげなもんじゃないか。いなくなったらそれはそれで大騒ぎだし、あっという間にネットが炎上して、閑散とした商店街が喧噪に包まれてしまうだろう。
あるわけがない、あるはずがない。
ふるふると首を横に振る。
ほら見ろ、ないじゃないか、どこにも。
理髪店なんて。
あの三色で、ぐるぐる回るやつ、目印みたいな看板みたいなやつも見当たらない。
ていうか、この鮮魚店さっき通ったかな?シャッターがしまっている店ばかりだから、行ったり来たりしているから、どこがどこだかわかんなくなっちまったのかな?
ああでも、商店街ってそんなに広くなかったよな。下町探訪みたいな番組で、もう人気があるのかないのか微妙な芸能人が承認欲求満たすために笑顔ふりまいて試食して、わざとらしくほめちぎって、握手して、宣伝なんかしちゃって。そんな場所でもないし。
思ったけど、あいつら必死すぎて、目とか笑っていないし。俺は兄ちゃんぐらいのときとか、あたしはもっと小さいときからとか、昔話と自慢話ばかりして、たまにつばとかとんじゃって、格好悪くて、干物みたいで。
理髪店どこだよ、どこなんだよ、ちくしょう。
一枚、一枚でいいから。
あいつを刈ってくれよ、俺がまわりの顔色うかがう癖がついたのも、ずっとうつむいて歩く癖がついたのも、全部あいつのせいだ。
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