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名前はまだ知らない。
友達らしき人が乗ってきても彼は挨拶を交わすだけで、誰かに名前を呼ばれることも、誰かの名前を呼ぶこともなかったから。
彼はいつもドアの横にもたれ掛かって立っていた。
こんな田舎の路線、花火大会でもないと、いっぱいになんてなることなんてないのに、わたしは彼が座席についているところを、一度だって見たことがない。
ひときわ家の遠いわたしが乗っている、遅刻しないギリギリの時間の電車は、通勤通学の終わりと生活が街にあふれ出てくる時間との狭間にあるから、さらに人が少ない。
そのまばらに埋まる座席は、毎日だいたい決まっている。
今日も同じような顔ぶれがいつも通りの位置で揺られていた。
先週はテスト期間だったから、遅くまで勉強したのだろう見慣れない顔が眠そうにプリントを見返す姿もちらほらとあったけれど、きっとそれぞれが日常に帰ってしまって、今日はもう取り立てて目に入るものはない。
彼の乗り込んでくる駅は無人駅だ。
この路線のだいたいの駅はすでにそうなっていて、わたしの乗る、本線と交わるちょっと大きな駅と、あとはボートレース場のある駅だけが無人化をのがれている。
彼は二両しかないこの電車のうち、同じ車両に乗ってはくるものの、わたしの座る席からは少し遠く、隣の扉にいることが多い。
ホームへの出入り口が彼の乗り降りする駅だけその位置にあるから、その辺りの座席は特に人が疎らなのに。
少しでも近づきたいという気持ちがないわけではなかったけれど、彼の姿を見とめた頃にはもうこのなんとなくの指定席は出来上がってしまっていて、今さら席替えをすることは、まるで自分の気持ちを大声で触れ回るかのように恥ずかしく思えた。
だからわたしは結局、いつまでもこの指定席のままだ。
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