水槽の氷魚Ⅰ ―― 蛇 ――

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SET・1 寡黙な男  海から立ち昇った銀色の霧が、街を貪るように喰らいつき、丘の頂上へと触手を、広げる。辺り一帯を喰い尽くしたその霧は、また、満足げに海へと戻って行くのだ。  旧金山(サンフランシスコ)――。  寒流がもたらす夏の霧は、朝と夜、そうして街を、侵食、する。アメリカで最も美しいと言われるその街を……。  チンチン、と坂道を昇るケーブル・カーの鐘の音が、聴こえた。街中が坂道と言っても過言ではないこの街では、名物と持て囃される庶民の足である。  丘の上から坂下を臨めば、車も人も蟻のようにちっぽけに、映る。  ヴィクトリア調の美しい家並みと、古い建物の背後に聳える近代的なビル群。西側最大規模のチャイナタウンと、サンフランシスコ湾に繰り出す夥しい数のセーリング・ヨット。  ここはロマンティックな霧の都。そして、美しい坂の街……。 「シスコの唯一の欠点が『去り難いこと』なんて、あれは嘘よ。霧ばかりで、夏の朝も夜もジメジメして寒いし、坂ばかりでハイヒールさえ履けやしないんですもの。ニューヨークのウォール街を、ハイヒールで颯爽と歩くキャリア・ウーマンにはほど遠いわ」     
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