第3章

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 センパイは、古い心の傷についてゆっくりと話してくれた。  その人と出会ったのは、センパイが高校1年の頃だった。陸上部に所属する2年生。朝練でグラウンドを走る彼女の姿を見るために、センパイは朝早く登校するようになった。誰もいない教室で、教科書を広げながら、グラウンドを走る彼女を眺める。それがセンパイにとっては、とても幸せな時間だったという。  だけど、幸せな時間はそう長くは続かなかった。彼女は思うように記録が伸びず、苛立ちを募らせていった。さらに、1年生にも記録を破られたことで、焦りがピークに達したのだ。そしてセンパイは、見守ることしかできない自分の無力さに悲嘆していた。  だから、彼女が「逃げたい」と言ったとき、先輩は迷わずにその手を取った。計画性なんて全くない逃避行だった。駆け落ちするつもりでもなかった。ただ、それで彼女が苦しみから逃れられるのなら、その隣にいたいと思ったのだという。 「本当に子どもっぽい思い込みだよね。それで救われるはずなんてないのに」  センパイは自嘲気味に言った。  ハヤシライスの皿が空になり、追加でジュースを注文する。 「逃げたっていっても、たった2日だったんだけどね」  たった2日だったが、家族や学校はかなり大騒ぎをしたようだ。そのため、多くの生徒が、センパイと彼女のことを知ることになった。それから2年が経ち、知っている生徒は3年生だけになったけれど、それでも、あの事件が忘れられたわけではない。  私とセンパイが文化祭で手をつないでいるのを見た3年生の誰かが、当時のことを噂したのだろう。それが藤花の耳に入ったのだ。  センパイが付き合っていた彼女は、練習環境を変えたいという理由で、逃避行から程なく別の学校に転校した。「離れてもずっと好きだからね」別れ際のその言葉を信じて、センパイは届かないメッセージを毎日待っていたのだ。 「センパイがメッセを止めたのは、それが理由ですか?」
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