前編

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 男の言葉に、アザミの苛々が更に刺激される。  朝、アザミが目覚めたら、怪士の姿がなかった。  この男は淫花廓(いんかかく)の中では例外的に、比較的自由な外出が認められている。  病気の母親がいるという理由も大きかったが、それ以上に、アザミが淫花廓(ここ)から出られない、ということがあるからだった。   楼主曰く、 「これ以上の人質はねぇだろう」  である。    正直、アザミにはよくわからない。  アザミの存在が、怪士の中で人質足り得るのか、不確かであった。  怪士が真実、外の世界に戻りたい、と思ったときに。  アザミの方を選ぶとは、どうしても思えないのである。  だから今日、怪士の姿がなく、少し外出してきます、という書き置き一枚が残っているのを見たとき。  ついに、この日が来たのだ、と思ったのだった。  ついに、怪士がアザミから離れる日が来た、と。  これまで怪士は、心臓を患っている母親の移植手術後の経過を見るために、楼主の許可を得てひと月に一度外出していた。  彼は出掛ける前にきちんとアザミにも声をかけてくれたので……もう帰って来ないかもしれないという不安はあったものの、夕方には戻ります、という男の言葉を信じてまだ待つことが出来たのだ。     
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