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 文也は携帯電話をそのままに、もう一度ドアが開かないか試してみた。が、隙間を開けるのさえ無理だった。  外を確認しても、さっきと状況が変らずパトカーが来る様子もない。電話が繋がっているだけでも心強いが、本当に母は来られるのだろうか。  はっと文也は顔を上げた。  ドアが開かないってことは、あの男もまだこの中に?  その時、目の端に何かが映り、文也は慌てて振り返った。  全身の皮膚が粟立つ。こんなところで見つかれば逃げることもできないし、隠れることもできない。  だが、そこに男の姿はなかった。  何かが動いたように見えたが気のせいだったようだ。  文也はほっとし、出口を見つけようと廊下を戻り始めた。この際、窓でも構わない。  携帯に呼びかけてもあれからノイズばかりで母の声が聞こえない。繋げたまま携帯をポケットに入れ、死体につまずかないよう注意しながら窓を確認していく。  だが、クレセント錠を回しても、ドアと同じで一ミリの隙間も開かない。  四年クラスの前を通る。  乱雑に転がる机や椅子と一緒にクラスメートたちの死体が折り重なっていた。  もしかしてあの中に宮島が――  そう思っても確かめる勇気もなく、そのまま五年クラスを通り過ぎ、廊下の突き当りまで来た。  この状況で非常口に期待は持てなかったが、とりあえずノブのつまみを開錠して回してみる。  やはり開かない。きっと二階も三階もみな同じだろうと思った。  なす術もなくとぼとぼと四年クラスまで戻ると入口に宮島が立っていた。  全身が血で真っ赤に染まっているが確かに親友だ。 「宮島っ」  呼びかけても反応はなく、じっと突っ立ったままだ。  何かおかしいと感じた瞬間、宮島の首がゆっくりと胴体から落ちて床に転がった。にもかかわらず、腕を伸ばして文也に一歩一歩近づいてくる。  なあんだ。これは全部夢なんだ――僕は今教室で居眠りしてるんだ。で、もうすぐ先生にこっぴどく叱られて宮島たちに笑われるんだ。  きっとそうだ。初めっからぜーんぶ夢だったんだ。  はははと笑いながら靴越しに何か触れるのを感じ、文也は足元を見た。  芋虫のように蠢く一本の指が血にまみれたスニーカーの先を打診している。  ははは、これも夢だよね。  ぼんやりとそれを眺めていたが、足首までよじ登ってきた指の感触にぞっとして脚を振り上げた。  高く飛んだ指が音を立てて血溜まりに落ちる。  これは夢なんかじゃないっ。  文也は目の前で迫る首のない宮島を突き飛ばし玄関まで走った。  今まで廊下に転がっていた死体が動き出していた。  ちぎれたパーツや内臓までもが意思を持つ生き物のように蠢き、文也に迫ってくる。  事務室の廊下に立つ河津が割れた顔面から赤い粘液を垂らしながらゆっくり文也を振り返った。  塚田も胴体を縦に裂かれ腸を引き摺って事務室から出て来た。斜めに割られた顔は片方の眼球がぶら下がったままだ。  その背後に宮島と同じ首のない死体が立っていた。ネクタイの柄で佐野だとわかる。  文也は河津を突き倒した。  その上を踏み越えて塚田が両手を伸ばしてくる。それも押し倒すと真後ろにいた首のない佐野を巻き込んで血溜まりの中に倒れ込んだ。  文也は顔に跳ねた内臓の汁を手で拭いながら玄関に向かった。  ホールは死人たちであふれ、立てるものは床を這う死体を踏みつけながら所在なげに歩き回っている。文也に気付き一斉に進路を揃えた。  その中にいる真奈香は頭の先から下腹部まで身体の中心が縦に割れていた。別々の方向を見ていた左右の目が文也に焦点を合わせ、よろよろと近づいてくる。その度に裂け目が拡がり真っ二つに割れた。粘った音を立てて内臓が床に散らばる。  左右ばらばらの真奈香の身体は内臓をかき混ぜながら時計の針のように床をぐるぐる回った。それ以上こっちに来ることはなかったが、どちらの目も文也を追い続けていた。  押し寄せる死人を倒しながらドアの向こうに母の姿を確認したが、母どころか車も人通りもさっきと何一つ変わっていなかった。  携帯電話を出して呼びかけても応答はなくノイズが聞こえるばかりだ。  血と脂の臭いをさせ次々と迫ってくる死人はいくら突き飛ばしてもきりがなかった。  ただ、ゾンビのように噛みついて来ないのだけが救いだが、この先どうしていいのかまったくわからない。  どこもかしこも血で染まり、自分も死人と区別がつかないほど全身が真っ赤に濡れている。  文也は泣きながら母を呼び続けた。 「ひっ」  涙にかすむ視線の先、死人たちの中に男が立っていた。  右手には鉈、左手には佐野の生首をぶら下げている。  佐野の目は狂った猿のようにきょろきょろしていた。  男は返り血のこびりつく顔をにやりと歪めると生首を放り投げてきた。  それを避け、男を睨みつけた文也は事務室に走り込んだ。寄ってくる死体を突き飛ばし、蠢く腸や指を踏みつけ蹴散らして壁に設置された鍵掛から屋上の鍵を取ると廊下に走り出た。  目前に来ていた男の鉈が音を立てて鼻先をかすめる。それに躊躇することなく文也は階段に向かって走った。  逃げられるだけ逃げるんだ。  落ちてくる死人たちを踏み越えて階段を駆け上り屋上を目指す。頬を流れる涙はもう乾いていた。  後ろから死人たちを伴って男が階段を上がって来る。文也を弄ぶようにゆっくりと確実に一歩一歩前進してきた。  ここから出られるという確証はない。だが、とにかく屋上に行くことだけを考え、息も継がずに三階まで駆け上がった。  ホールの床を這う上半身だけの死人が手を伸ばしてくる。それを上手く飛び越えたつもりだったが、足首をつかまれ文也は転倒した。腹の上に這い上がってくる死人が邪魔で立ち上がることができない。  男が三階に到達した。鉈を持った手の甲が盛り上がる。  死人をなんとか振り落とし立ち上がった文也は屋上への階段を上がろうとした。  だが、再び足首をつかまれ、死人たちに取り囲まれた。  男が凝った血のような赤い目を細めて嗤った。
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