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線路がゴウゴウと鳴り響くのを耳がしっかりと捕らえた。右を向くと、遠くから電車がスピードを落とさないままに走ってくるのが見える。
よし、行こう。
そのくらいの感覚だった。死ぬ前には色々と思うものがあったり、走馬燈が走るなんてことも聞くが、特に何も浮かばなかった。
そのくらい、この世界に、社会に魅力を感じていなかった。
面倒な宿題をほおりだすくらいの感覚しかなかった。
足取りも軽く、白線の外側に足を踏み出したひじりは、そのまま前身をホームから投げ出そうと前のめりに倒れ――。
――ようとして、ぐい、と強い力で後ろに引かれた。
突然のことに、何があったのか分からなかった。
お腹の辺りに、ぐっと力強い重みを感じたかと思ったら、自分の意思の反対方向に引き込まれ、目を丸くする。
「やめてくれ」
後ろから低く静かな声がした。
大人の男性のものだと思った。驚く程静かに、それでいて低く重みのある声で、無感情なものだった。
ふと確認すると、自分の腰に男性の腕が回されていた。
背中には、硬い肉体の感触がある。飛び降りようとしたところを、後ろから抱きかかえるようにして引き戻されたらしいと分かった。
ゆるりと顔を後ろに向けると、その男性の顔が確認できた。
サラリーマンだろうか。スーツ姿で年のころは二十後半か、三十代といった印象だった。
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