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第四話
地味なスーツを着込んだその男性は、稲葉と名乗った。サラリーマンらしく、名刺まで手渡して来た。フルネームで、稲葉八尋と書いてある。会社の名前と電話番号、メールアドレスまできちんと書いてあった。
自殺を止められて、ひじりは自分がどのように行動するべきなのか、咄嗟に判断ができなかったこともあるのだが、何よりも自分の手に持たされた小さな手帳が気になっていた。だから、ひじりは、奇妙なことだと自覚しながらも、稲葉と共にホームの椅子に腰かけていた。
塗装の剥げかかった色あせた椅子は頼りなく、そしてひんやりとしていて、自分の居場所に似合っているようにも思えた。
「あの……」
と、口を開いたものの、隣に腰かけるサラリーマン風の稲葉にどのような言葉を投げかけるのが適当なのか分からない。
助けてくれてありがとう、だろうか。いや、自分の計画を止められてしまったのだから、『ありがとう』ではない。
ならば、余計なことをしてくれたなと怒りを向けるべきだろうか。それも何かピンとこなかった。
もし、この稲葉という男性が「命を粗末にするな」などと注意をして来たなら、ひじりは大声で怒鳴りつけたことだろう。
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