第1章

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源三郎江戸日記(弟二部)1 幕府は世間の非難を恐れて法要を許したので、赤穂浪士の49日の法要は瑤泉院を始め、旧浅野家の家臣が集まり滞りなく終ったのです、赤穂義士の墓には大勢の人が訪れ、線香の煙、 が絶えることはなかったのです、綱吉はこれでわしは永大に悪く言われるなと柳沢に言うと、法を守る為にござります、その非難はそれがしが一手に引き受けますのでご心配なされ、 ますな、 町から野犬は消え、武士が刀を振り回す事も少なくなり、隅田川の向こうまで町は広がり大変な賑わいをていしています、これも総て上様の治世のお陰ですと言うと、それを分かっ、 てくれる者はいるのかと言うので、みなは分かっているのですが、いつの時代も天下人は良くは言われないのですと言うと、まあ良いわ、ところで稲葉印旛沼の干拓はどうなって、 いるのじあと聞くと、 始まったばかりに御座いますと言うので、どうなのだと聞くと、今のところ順調だと言う事ですと言うので、柳沢が相模屋の言うには利根川が洪水になると、その影響で折角干拓、 した新田が流失するおそれがあるので、印旛沼から利根川に放水路を作り流す必要があるそうで御座いますと言うと、綱吉が今は印旛沼の水は何処に流れているのじあと聞くので、 小さな川で利根川に流れておりますが、この川幅を広げて洪水の時に氾濫しないようにする必要があるそうです、数年に一度は大雨になる事があるそうですと言うので、それでは、 それもやるしかないな、いかほどかかるのじあと言うので、およそ5万両位との事で相模屋は余力がないと申しておりますと言うと、それなら天満屋にやらせるが良い、幕府から、 2万5千両、 天満屋から2万5千両を出してやらせろと言うと、柳沢が放水路は稲葉殿の領地が殆どですと言うと、綱吉が稲葉そちの領民を賦役に出して加勢しろと言うので、承知いたしましたと、 頭を下げて、くそ~、相模屋の仕返しだな、仕方ない2万5千両くらいなら大丈夫だろうと思ったのです、柳沢はばかめ5万両ごときで済むものか、逆流すると源三郎が言うていたな、 先に水門を手がけなければ、今年の露から夏の台風時に痛い目にあうぞ、よし煽ってやろうと思い、稲葉殿どうゆう風にやられる積りですかなと聞くと、一番危ないのは夏の台風、
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