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新しい距離
「手が冷たいの」
沙織が言うと斜め前にいた一真が振り向いた。青空の下であっても真冬の信号待ちは寒い。一真は白い息を吐いて彼女の突然の言葉にちょっとだけ笑った。
「寒ぃな」
半歩下がって沙織の隣に。それはそれで沙織は嬉しかったけれど、汲んで欲しい気持ちはそうではなかった。少し視線を下げて手袋をしていない両手を合わせて包む。
その様子に一真はダウンジャケットのポケットに突っ込んでいた右手を出して沙織に差し伸べた。ぱっ、と沙織の視線が上がり、表情が明るくなるが――
「カイロ、いる?」
差し伸べられた手に、む、と眉を寄せてから顔を背けてしまう。
「いらない」
「そう?」
一真はカイロを持った手をまたポケットに引っ込めた。
――今日はデートなのに。これじゃあ友達だったときとあまり変わらない。そもそも告白らしい告白でもなかった。「付き合わねえ?」と言葉はそれだったが真剣な顔で言ってくれたから「いいよ」と答えたひと月前。すき、と言えないままお付き合いをしている。
車道の信号が赤に変わる。……手は、繋げないまま。
「……間違ってたらごめん」
一真の顔を見ると“あのとき”のような真剣な顔、きらめいた瞳をしていた。沙織の左手が一真の右手にさらわれる。包み込む手が冷えた指先に体温を注ぐ。
「うわ、本当に冷てぇ」
おどけたような声。笑った顔が照れを垣間見せる。
「一真……」
指先どころか顔まで温かくなった沙織は、恥ずかしくなって合わせた視線を一瞬だけ外したが、一真の気持ちに応えたくて頑張ってまた目を合わせた。
「合ってた?」
「うん……。ありがとう」
信号が青に変わって人々が歩き出す。その流れに気付いて二人も手を繋いだまま、歩く。
“すき”という言葉はまだ胸に仕舞って、手のひらに乗せる。沙織が意識した手を握り返してくれる手は優しかった。この新しい距離に慣れるのも、きっとそう遠くないだろう。
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