虚しさの話

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 見る間に彼が近づいてきた。  がふ、と抱きしめられる。  ルームウェアのシャツとカーディガンが、ショートパンツを穿いた脚と長ズボンが擦れ合って彼女をくすぐる。  碧眼の彼だった。「おれの『天使』になってほしい」と愛を囁かれて2年半。専門柄、大概は科学的で論理的でも時々感覚か抽象論が混じる話し口。 「おれの目は汚れだらけだから、きっとお前が見ても虚しくならないだろう」 「それにあなたの目は確かに『ある』」 「じゃあいつか落ちるかもしれない」 「あなたはもうあたしと恋に落ちている――」  そっと首に腕を回してすがり寄ろうとしたら、やんわりと腕を解かれた。  彼の目がゆっくり瞬きする。 「お前が勝手に落ちてきた」 「身勝手みたいに言わないで」 「汚れた人間のところに、わざわざ落ちてきた天使(おまえ)だ」 「何、それ」 「何でか自覚がないのか? 自分でそう言ったくせに。――空の上にいたら虚しいからだろ。のっぺらぼうの空に包まれてたら虚しいから」 「今日は徹底して詩的なのね」 「何も」 「虚しくならないだろうなんて、随分自信があるのね」 「何も自信じゃないんだよ。事実だよ。お前と一緒に導き出した」 「明白な事実だったら信じる?」     
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