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しかし、どうしても今日のようなチームのレギュラーを争う練習になると抑えようと思っていても力を出し切ってしまう。4月に入学したった5ヶ月で東西大学のエースに昇りつめようとしている男はやはり只者じゃない、川口はそう感じた。
「今日は川口先輩に20キロ以降の走り方を教えてらもらうつもりです。よろしくお願いしますね。」実力に似合わない物腰柔らかい感じでアップのジョギングに入っていった。
現在時間は14時、30キロ走のスタートは15時だ。
合宿所からスタートまでは6キロ程度ある。各選手は、合宿所でストレッチを済ませアップがてらジョギングでスタート地点まで向かう。ストレッチを終えた川口もスタート地点に向けジョギングを始めた。気温は30度と少し高いが本州と違って湿度が低く走っていると涼しくすら感じる。距離走には打って付けの気候だなと川口は思った。そういえばあの時もこんな日だったな。
川口が初めて北海道の地に来たのは中学生3年生の頃だった。川口は埼玉県のごく普通の一般家庭に生まれた。親父はサラリーマン、母は専業主婦だった。走ることは特別好きではなかったが小学校のマラソン大会はいつも断トツの一位だった。その頃から自分は走る才能があるんじゃないかと感じ中学校に進学し陸上部に入った。川口の感は本物だった。入学後、メキメキと実力をつけ2年生の全国中学校選手権、通称「全中」の3000メートルで2位に入った。そして翌年川口は優勝の2文字を目標に全中の開催地である北海道に降り立ったのだった。そこで川口は実力を出しきり見事優勝した。しかも1500メートルでも優勝し二冠を勝ち取った。そこから埼玉に川口有りと全国に名が広がり一躍有名人となった。そして川口の陸上生活は一変したのだった。
月に一回に陸上記者が練習風景や今のコンディションの取材に来た。さらに、大手のランニングシューズを扱うメーカーから新作シューズが提供された。そして一番は名門と言われる高校の陸上競技部への勧誘だった。土日になると毎週のように全国各地の強豪校のコーチが訪れ「私の高校が全校で一番陸上に専念できる環境だ、一緒に強くなろう。」と勧誘された。当時中学生だったがこんなに自分に価値があり必要としてくれる場所があるなんてと少し得意げになっていた事を今でも覚えている。
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