第十一章

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「陸、ちょっと店の外を見てみろよ」  槙原が顎をしゃくりガラス窓の方向を指す。 「……? あ、誰か中を覗き込んでるね。店に興味があるのかな?」 「そうらしいな。声を掛けてみたらどうだ?」 「うん! ちょっと行って来るね?」  覗き主と話し込んだまま戻ってこない陸が心配になった槙原は、ドアを少し開けて様子を窺い声を掛けた。 「どうした、お客さんか?」 「うーん……。そうじゃないと思うんだけど。このお二人は、近くでカフェレストランをなさっていて、今日はこの店の偵察に来たんだって」  あまりにも率直な理由に、思わず吹き出した槙原が「へえ。面白いな! 入ってもらったらどうだ? もう閉店だしな」そう言うと、陸も嬉しそうに同意し「そうだね! どうぞ、どうぞ」と言いながら、見目の良いスラリとした容姿の男二人を伴い戻ってきた。  歳は40手前くらいだろうか――  多分、槙原と同年代か少し下くらいだろう。  彼らはこの駅から徒歩十分ほどに位置する閑静な住宅街の一角で、カフェレストランを営むオーナーギャルソンとシェフだという。  先ずは妙に姿勢が良く丁寧な物腰のオーナーギャルソンが、品のある所作で名刺を差し出しながら自己紹介をはじめた。 「不躾な真似をしてしまい、大変申し訳ございませんでした。私は、桂木と申します。10年ほど前から近くでカフェレストランを営業しております。是非、手前共の店にも足をお運びくださいませ」  彼の、その鷹揚なもの言いは耳に心地好く響く。  それは、訪れたことのないカフェレストランの品格を彷彿とさせるものだった。  「はじめまして。僕はここで店長をしている樫本陸と言います。彼は、この店のオーナーで――」  陸が槙原に目で合図を送り、その先を促す。 「俺は、槙原良介と申します。この店の事は、全て彼がやっているので俺には良く分からないんですよ。時々片付けを手伝う程度だしな」  少しおどけた調子で槙原が話すと、先程から槙原の顔を凝視していたシェフだという男が、恐る恐るといった風で質問した。 「――あの……。俺は桂木の店でシェフをしている西島です。もしかして……、違ってたらすみません。槙原さんって、あの槙原さんですか?」 「あぁ……、多分ね」  槙原の返事に瞠目した西島というシェフは、嬉しそうに立ち上がると急に早口で喋りだした。 「やっぱり! あの、凄い賞を取った槙原さんですよね? 俺、あの映像見て感動したんですよ。最高だなぁ。足は? ああ、もう大丈夫そうですね。良かった……」  それから西島が捲くし立てるように槙原の仕事の話を聞きたがり、槙原も嫌がる様子を見せずに応じていたので、陸はそっとキッチンに入りコーヒーを振舞う準備をはじめた。 「とても美味しいですね」 「旨い!」  二人は同時に感嘆の声を上げた。 「だろ? 陸の淹れるコーヒーは、『世界一』だぜ?」  槙原は悪戯っ子のような顔でニヤリと笑って答え、陸は「またそういうことを言うんだから!」と恥ずかしそうに顔をしかめてみせた。  いろいろと話をしていくうちに、この二人もシアトルに縁があることを知った。西島については、槙原も良く知っているダウンタウンの老舗カフェで働いていたことがあるらしい。  ひとしきり話した後、次は自分達が彼らの店に行くと約束をした。  するとすかさずオーナーの桂木は、「西島の淹れるコーヒーも『世界一』だと自慢させて頂きますよ?」そう言って槙原に鷹揚な笑みを向けた。      短時間だったが陸にとってこの出会いは良い刺激となり、仕事への意欲もこれまで以上に湧いたようだ。  槙原も、幸先の良いスタートだと嬉しく感じていた。
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