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ふぅわり...
たんぽぽの綿毛をふんわりと運ぶ微風のように――確かに空気は移動し、俺の前髪を擽った。
部屋にいた四人のうちで空気の移動を感じたのは、槇原ともうひとり。彼女は思わずといった体ではっとした表情をし、鳩が豆鉄砲を食らったような俺の間抜け顔を、ほんの一瞬だけ凝視した。
その時。
あの瞬間――
ぴたりと目を見合わせた俺と彼女は、きっと同じ聲を感じ、懐かしいあの頃にほんの数秒だけタイムトリップした。
そして互いに涙が出そうになるのを、かろうじて堪えていたと思う――。少なくとも俺はそうだったし、彼女の目も潤んでいるように見えたから。
数日前――
講師として勤務している大学の研究室に、三人の親子連れが槇原を訪ねてやってきた。
思春期に差し掛かる頃合いだろう。子供と大人の間を右往左往しているような――……、その時期特有の、控えめで複雑な表情を取り繕っている息子は、それでいて興味を隠しきれないといった愛らしい表情できょろきょろと辺りを見回している。
きっと、探求心旺盛な性格を有しているのだろう。
(健全に育っているぞ。良かったな!)
俺の計算が確かならば、今は中学生で一年か二年だろう。
この子があいつの忘れ形見だということは、その目尻や口元に遺された面影が雄弁に物語っていた。
「大変ご無沙汰しております」
母親は、取材中に俺の身代わりで亡くなった親友の妻だった女性だ。数年前に再婚したという彼女の夫は、見るからに温厚そうな面差しで、醸す雰囲気が親友によく似ている。
三人で並ぶ姿はどこにも違和感は無く、息子も父親を慕っている様子で「ねえ、お父さん。この写真凄いよ――」「そうか? どれどれ――」そう言って、壁に貼付してある写真を二人して見はじめた。
それは、あらゆる国の風景写真だった。
それらの持つ全体像や些細な箇所を各々の心象風景と結び付けて、何某かを感じてもらいたいと思い、モチーフ自体が主張しすぎないようにモノクロームで仕上げたものだ。
のんびりとした歩調で、写真を眺めながらぽつらぽつらと会話をしている二人の様子に親友の姿が重複し、再び槇原の心の奥底に無理矢理に押し込めてきた後悔の熾火が疼き出す……。
親友の元妻は、槇原が大怪我から復帰して日本で活躍している事を何かで知り、『今の自分達の姿を見て欲しい』と思い立ち、訪ねてきてくれた。
写真を眺めながら穏やかに談笑するふたりの後姿を、目で追いかける無言の槇原に去来する心情を見透かしている様子の彼女だったが、決して余計な事を口にすることは無く、槙原と同じようにふたりの姿を目で追っていた。
その時――
窓を閉め切っている室内に、場違いで爽やかな微風が入り込んできた。
それは、ふぅわりと移動して、俺の前髪を擽った。
次の瞬間……
『幸せになれ!』
聲が――親友の、穏やかなそれが、槇原の耳元を掠めた。
それは、槙原の横に座る彼女の前髪も擽り、耳を掠めた――俺たちは、そのことについて確かめ合うような、そんな無粋な真似をする気には一切ならなかった。なぜなら互いの表情が、そのことを、その事実を……、雄弁に物語っていたからだ。
彼女の再婚相手は、事情を全て知った上で『三人で一緒に生きて行きたい』と言ってくれたそうだ。
「普通のサラリーマンですよ」
のんびりと穏やかな彼の姿は、やはり親友の醸していた雰囲気とよく似ていて、終始にこやかに喋る姿に槇原も思わず顔が綻んでいた。
あの時、号泣して土下座し赦しを乞うた――今日、この瞬間までその気持ちに寸分の変りは無かった。
しかし――自分は赦されても良いものだろうか……
槇原は、彼女たちが自分に会いに来てくれたことに深く感謝し、心の中ではあいつに深く深く感謝していた。
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