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「聖月の『Les yeux noirs』はいつ聴いても最高だな。今日は少し荒いが、それも良い」
バーカウンターで恋人と肩を寄せ合いウィスキーを舐めていた白崎 陽は、隣で熱い視線を送る男の言葉を密かに鼻で笑い飛ばした。
わざわざジプシー・スウィングを聴きにこのバー『Roma』に来ている癖に貧相な耳だ。確かにその飛び抜けた技巧だけでも聴く価値は多分にあるが、今日の聖月はまるでノっていない。あの若き天才ギタリスト、眞部 聖月の本気はこんな物ではない。それを知っているだけに、陽は今耳に触れる無様な演奏が不快で仕方なかった。
クラリネットの短いソロが終わりテーマへと戻り、四分程の曲が終わると客は大喜びで口笛を吹き気が触れたように手を叩く。それもまた気に食わない。周囲の喝采を蹴散らすよう、陽は不機嫌に酒を煽った。
「聖月、もう終わり!?」
背後の女が酒に焼けた声で叫び、周りもそれに続けと囃し立てている。今日はまだ一曲しか演っていないはずだが。そう思い背を向けていたステージに視線を流すと、丁度ギターを手に聖月がステージの隅にあるちいさな扉にハケてゆく所だった。周りのメンバーは顔を見合わせ、あからさまに困惑している者と、呆れたような顔付きの者がいる。
また悪い癖が出たか、と胸の内で零し、陽は控え目な舌打ちを投げた。
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