第一章

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 社会勉強を積んだ積もりで五年間を過ごした私は一人前の社会人だと思い込んでいたが、現実はそう甘くはなかった。  しかし、父の会社に「未来の社長候補」として華々しく転職を果たしてみると親戚が主だった役職にずらりと名前を連ねていて実権などは全くなく、ただ重役室に置物のように座っているしかない毎日だった。  というのも、父が与党大物政治家との密接な付き合いを週刊誌にすっぱ抜かれたのが、私が入社して直後だったので、父はその責任を取って辞職し屋敷で逼塞(ひっそく)した、隠者のような生活を余儀なくされていた。そしてそんな父に見切りをつけたのか、母は財産分与を当たり前のように要求して離婚を切り出した。 「もう総一郎も一人前になったことですし、私は私で責任を果たしたと思います」と強気に言い張る母は多分、沈みかけた船から逃げ出すネズミのような嗅覚でも持っていたのではないかと今になって思う。  そしてその要求通りの分与を受け取ると「(つい)棲家(すみか)」と言い続けていたハワイへとまるで新婚旅行に向かう花嫁のような雰囲気で「独り」立ち去った。  ただ、私は名ばかりの役職とはいえ「安田」姓を持つ身の上でもあったことからロクに読みもしない――読んでも意味が分からない――書類に判を押す毎日だった。とはいえ、役付きの所得は同世代のサラリーマンの20倍以上だったし、当たり前のようにお抱え運転手付きで会社と屋敷、その後はタワーマンションの利便性が気に入って独り暮らしを満喫していた。屋敷があるのだからと賃貸で借りてしまったのは、ある意味驕(おご)りがあったからだと今となっては思う。  見合いの話は親戚たちから山のように来たものの、写真と「釣り書き」を見るだけで何がしらの欠点が――今考えると重箱の隅をつつくような類いの――重大な瑕瑾(かきん)のような気になって全て断ってしまっていた。  相変わらず寒さとも暑さとも無縁な生活、そして独りの楽しさと書物への耽溺だけが楽しみの私にとっては、それがむしろ当たり前の生活で、そして愚かにも盤石(ばんじゃく)な暮らしだと信じていた。  カタストロフィーが起こるまでは。
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