6月

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 誰もいない体育館は闇と静寂に包まれ、雨音だけを響かせている。屋根に当たり、弾けた雫が雨戸を伝い、一つの流れとなって地面を這う。壁の無い、屋根だけのトタン板では、風に煽られ吹き込んでくる雨を完全には防げなかった。 「ダメだよ。私の傍に居ちゃ……」  ひと際強く吹いた風が雨足を強くする。降りこんだ雨が二人を濡らした。 「そう、言われたから?」  雨に濡れた髪が纏まり、額から目尻、そして頬へ、顎へと伝い雫が流れた。雫は彼の体温を奪い、濡れたざら板にぶつかり砕け散る。 「また、ツバサ君を酷い目に合わせるかもしれない。だから……」 「そんな事はどうでもいい!」  雷が光った。風に吹かれて、桜の木の葉が音を立てて揺れた。 「俺のことを気にする必要なんてない。俺はただ、渡会さんの事が――」  ツバサの言葉が雷鳴によって遮られる。頬が熱い。彼は小さく深呼吸をした。 「俺は、渡会さんと一緒に居たい。それだけだ」  同じ言葉を二度も言いたくなかった。いや、言えなかったのだ。 「ありがとう。でも……」 「昔の事なら気にしなくていい。全部忘れることなんてできないだろうけどさ。今から、またやり直そう」  詩織がわずかに顔を上げる。長い前髪と、暗さが相まって、彼女の表情はわからなかった。 「ツバサ君は優しいね。何も変わってない」  ツバサは小さく笑った。 「あの時も、ツバサ君はこうして私を励まそうとしてくれた。それを私は仇で返した」  風が笛のような音を奏でている。わずかな間、雨音が止まった。 「何度も謝ろうと思った。謝らないといけなかった。でも、できなかった。なのに私は、またツバサ君の前にいる」  詩織はツバサに顔をむける。彼女の顔は雨に濡れ、目元は赤くなっていた。髪から流れた雨が目尻から流れる。 「もう遅いってわかってるけど、謝っても許されることじゃないってわかってるけど、それでも。ずっと伝えたかった」  彼女はツバサの目を見据える。そして震える声で、それでいてハッキリと言った。 「あの時は本当にごめんなさい」
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