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両親へのプレゼント
あの話は、今から16年前の7月中旬にさかのぼる。
夕方近くに、見た目、高校生らしき女性が少し不安そうな顔をしてフロントへやって来た。
最初、私は彼女が修学旅行生の中の一人かと思ったのだ。しかし、実際はそうではなかった。
「フロントの責任者の方にお会いしたいのですが....」 と彼女が私に言った。
その日、宿泊の責任者である松浜課長が休みであったため、
「私が今の責任者ですが、もし、私でよければお伺いしましょうか?」 と言って、フロントカウンターの近くにあるインフォメーションデスクへ彼女を案内し、椅子に座ってもらった。
私も彼女の前に座ることにした。 少し沈黙があった。
「今度、両親をこちらのホテルへ宿泊をさせてあげたいのですが、どのようにすればいいのか分からなかったので、直接ここへ来ました」と彼女が言った。
「失礼ですが、あなたのご住所はどちらで、今日は何で来られたのですか?」と私が尋ねると、
「家は彦根(滋賀県)で両親と三人で住んでいます。ここまではJRと地下鉄で来ました」 と、彼女は正直に話してくれた。
「でも、彦根からわざわざそのために来られたのでか?」と私が驚いた様子で聞くと、
「いえ、実は叔母の家が京都にあり、今日はそちらに泊まるのです。夏休み期間中で、そのことは当然、両親も知っています」
「でも、ご両親のためにそのようなプレゼントをするなんて感心しますね」 と私が言うと、
「ありがとうございます。実は、数ヶ月前に、テレビで関西のホテルの特集番組を家族で見ていて、一度でいいからこんなところに泊まってみたいねと、父が母に話していたのを聞いていたからなのです。そのホテルが、ここ京都クイーンズ ホテルだったのです。ただ、恥ずかしいお話ですが、こちらの宿泊料金のことも調べずに来てしまいました。先ほど、ここのパンフレットに書かれている料金を調べたら、3万円からとなっていたため、ほんとうのところは、諦めようかと思っています」と、彼女が少し悲しそうに言った。
「ご宿泊の希望日は、いつなのですか?」と私が尋ねると、
「来月の16日です。その日は、両親の結婚記念日で、ちょうど20年目になるのです」と彼女は明るく言うと、
「8月16日ですか?」と私は念のため彼女に確認をした。
彼女に確認をした理由は、8月16日とは、京都では有名な『大文字の送り火』がある日で、その日は、すでに数ヶ月前から満室になっていることを私は知っていたためだ。
彼女は小さく頷くと、「部屋はとれないでしょうか?」と彼女が不安そうに言った。
「その日は、あいにく全館満室なのです」と私は正直に満室になっている理由を彼女に説明した。
「わかりました。では、他のところをあたってみます」と彼女は言って、席を立とうとした。
「他の市内のホテルに空室状況を確認をしますので、あと15分ほどお待ち頂けますか?」
と伝えた私は、フロント事務所へ戻り、市内にある10数件のシティホテルへ電話を入れ確認をした。しかしながら、良い結果は得られなかった。
彼女にその結果を報告すると、
「いろいろと調べていただいてありがとうございました。来年はできるだけ早く予約を入れるようにします」と彼女は言うと、
彼女は席を立ち、私に礼をした。そして、彼女が玄関へ向かおうとしていた、その数十秒の間に私の頭の中では、
(彼女のために何とかできないのか? このホテルも他のホテルも満室で厳しい状況だ。 でも、なんとかなるかもしれない!)と私が思った瞬間、
「お客様!」と私は彼女を呼び止めていた。 彼女がこちらへ振り返ると、私は彼女のほうへ歩み寄った。
「あと、5分だけ待っていただけませんか?」 と私が聞くと、彼女はまったく不審がらずに微笑み、玄関にほど近いロビーで待ってくれた。
私はすぐに予約のサブ責任者である長谷川に、 「8月16日、1部屋何とかならないか?」
無理だとは分かっていたが、私は念のため確認をした。
「冗談はよしてくださいよ。マイナス7ルーム(オーバーブッキング)から、まったく動きはないのですから」と長谷川が答えた。
「マジかよ」と私は少し荒い口調で言った。
私の心の中でマイナス7ルームくらいなら何とかなりそうだと確信をした。
私は彼女のところへ戻ると、
「お待たせしました。お部屋をご用意させていただきすよ」と言ったのだ。
「でも、さっき満室とお聞きしましたけど...」と彼女が不安そうに言ったため、
「先ほど、予約事務所に行って確認をしたら、1件キャンセルがあったそうです。部屋は取れますのでご安心下さい」と私は咄嗟に彼女に嘘をついた。
「ありがとうございます。本来なら嬉しいのですが....」と彼女が言うと、
「どうかされましたか?」と私は聞いた。
「実は、こちらのホテルがそんなに料金がかかると思っていなかったもので、恥ずかしい話ですが、お金が25,000円少々しかないのです。 週に1回だけ本屋さんでアルバイトをしているのですが....今回は他のホテルも満室のようなので諦めます。次回はお金を貯めてから来ます。今までいろいろと調べて頂き、ありがとうございました」
と彼女は礼を言い、立ち去ろうとした。
「お客様、お待ち下さい。確かにパンフレットに提示している料金が3万円からというのは本当です。しかし、今回だけ特別に2名様、25,000円で結構です。もちろん、税金も含まれていますのでご安心下さい。その日は、あなたのご両親の結婚記念日ですから」
と私は上司に相談をせずに即答をしてしまったのだ。
彼女は信じられないような顔をして、
「ほんとうにありがとうございます」と言って、頭を深く下げた。
その時に初めて、私はまだ彼女の名前、連絡先を聞いていなかったことに気付き、その場で確認をした。 彼女の名前は、小池梨奈、高校1年生であった。 そして、予約時の名前は父親の小池洋と聞き、私はポケットに入れていたメモ帳に名前と彼女の自宅の電話番号を控えた。
私は翌日、宿泊課長である松浜に報告をしなければならないことが2点あった。 一つ目は、満室の日(8月16日)に予約をとってしまったこと。 二つ目は、誰にも相談をせずに、私が勝手に料金を下げたことである。 その日、私が夜勤で出社してすぐに、昨日の予約の件で松浜課長に全てを打ち明けた。 当然、私が勝手に判断したことに対して、強く叱られた。
話の最後に、松浜課長から、
「そこまでお客様のことを考えているのなら、最後まで責任を持ってやりなさい」
「わかりました。今回の件は、申し訳ございませんでした」 と私が頭を下げ立ち去ろうとした時、課長が私に、
「白鳥の8月16日のシフトは夜勤にしておきなさい。あと、その日は満室だから 頑張ってくれよ」と言ってくれた。
非常に嬉しい言葉であった。
「ありがとうございます」と言い、課長の席を離れた。
幸運なことにその1週間後には、小団体のお客様がキャンセルとなり、8/16の日は、オーバーブッキングがなくなり、ほぼ満室近くとなった。
8月2日の夜、私が夜勤の時に梨奈から連絡が入った。
私は確認の電話でも入ったのかと思いながら、受話器をとると、
「こんばんは、小池です。先日はありがとうございました。あと、申し上げにくいのですが、以前せっかく予約を入れていただきましたが、今回はキャンセルをしていただけないでしょうか?」 と少し辛い声で梨奈は言った。
「ご両親に急な用事でも、できたのですか?」と私が聞くと、
「いえ.....」と言った後、少し沈黙があり、
「実は、昨日父が再入院してしまって、いつ退院できるのか、わからないのです。 以前から身体の具合が悪かったものですから」と梨奈は言った。
「わかりました。では、今回は残念ですが、キャンセルをしておきますね。『お大事になさって下さい』と私は言い、それ以上のことは言及しなかった。
私は彼女にキャンセルをしてほしいと言われたが、すぐにキャンセルをしなかった。理由は、もしキャンセルをしてしまったら、当日は満室のため、万が一、彼女から 再度問い合わせが入った時、100%とれないことは明白であり、もう一つの理由は私の気持ちの中で、ぜひ彼女の父親が16日までに退院をしてほしいと願っていたからだ。
ただ、梨奈のあの時の寂しそうな声が、ずっと気にかかっていた。
1週間後の8月9日に私は彼女の自宅へ電話を入れてみた。
しかし、その日は終日、家には誰もいなかったようで連絡がつかなかった。 その後も、1日おきに電話を入れて、ようやく8月13日に連絡がついた。 その日、家には彼女の母親が電話に出て、私がご主人の病状について聞くと、
「ご心配をかけまして、申し訳ございませんでした。又、せっかく予約を入れて いただいたのに、キャンセルをしてしまいまして、皆様には大変ご迷惑をおかけいたしました」 と謝罪の言葉だけで、詳しいキャンセルの理由については、言ってくれなかった。
ただ、入院をした夫が8月16日に仮退院できることを教えてくれた。
そして、今、娘の梨奈が京都のF病院へ見舞いに行っていることも話してくれた。 翌日、梨奈から私の会社へ、彼女の自宅へ連絡を入れたことに対しての お礼の電話が入った。
「16日にお父様が退院されるそうですね。おめでとうございます」 と私が言うと、
「ありがとうございます。今回はいろいろとご心配をかけてしまって、すみませんでした」 と彼女が謝罪をした。
「16日、もしよろしければ、ご家族で私どものホテルに宿泊されませんか? 確かご両親の結婚20周年でしたよね?」と私が言うと、
「でも、こちらの都合でキャンセルをしてしまったので....」 と残念そうに言ったため、
「まだキャンセルはしていませんよ。梨奈さんのお父様が早く退院されると思っていましたので、 部屋はまだ押さえています。ご安心下さい。また、お父様が入院されている病院からだと、車で15分くらいなので、ご自宅へ帰られるよりは、お疲れにならないと思います。 ご両親に相談をしていただいてから、返事をいただければ結構ですから」と私が言った。
「ありがとうございます。すぐに両親に知らせます」 梨奈は涙声になっていた。 彼女の両親への思いやりというものに感動した私は、彼女の両親へ二つのささやかなプレゼントを考えていた。
最初のプレゼントは、彼女の両親の結婚記念日ということで、部屋に花を 手配することに決めた。 ただ、私のポケットマネーなので、そんな豪華なものではなかったが、メッセージを添えることにした。
(ご結婚、20周年おめでとうございます。これからも、末永くお過ごし下さい)
8月16日になった。
私が夜勤で仕事につき、数十分後に梨奈から私宛に電話が入った。
彼女を含め、両親の到着が17時頃になるという知らせであった。 その日は、16時頃からチェックインのお客様でフロントカウンターは賑わっていた。
私がフロント事務所にいた時、女性スタッフから小池様が到着されたという知らせを受け、すぐにフロントカウンターへ出た。
私はその時、初めて梨奈の両親に会ったわけだが、彼女の父親が何度も頭を下げられるため、逆に私は恐縮してしまった。
「はじめまして。小池でございます。今日はお世話になります」と彼女の父が言うと、
「いらっしゃいませ。お待ちいたしておりました。ご結婚20周年おめでとうございます」と私が言うと、彼女の父、洋が少し驚いた表情をされたので、
「実は、梨奈さんから、今日がご結婚記念日だと聞いておりましたので」
「そうだったのですか? 今回はいろいろと皆様には、ご迷惑をおかけして申し訳なかったです。 今日は大変楽しみにしています」
「いえ、とんでもございません。本日は、ご家族でごゆっくりお過ごしくださいませ」と私は言った。
「ご登録は、どなたがされますか?」と私が梨奈に聞くと、
「梨奈が書いてくれる? きれいな字で書いてね」と彼女の母親が言ったため、
「だったら、お母さんが書いてよ」 と梨奈が言うと、
「ここまで来て親子喧嘩をしないでくれよ。恥ずかしいだろ」 と洋が言うと、二人は顔を見合って笑った。
結局、梨奈が全て記入し終えると、
「今日はこの後、ご家族で大文字の送り火を見に行かれますか?」と私が尋ねると、
洋が 「ぜひ、みんなで行きたいと思っていたのです。テレビでは何度も見ていますが、実際に 一度も行ったことがないのです」
「では、19時にホテルのマイクロバスがその近くまで送りますから、ぜひご乗車下さい。 予約制になっていますので、3名様で予約を入れておきます」と私が言った。
その後すぐに、お客様を部屋へ案内するために、ベルボーイを呼んだ。 「
「小池様、3名様をご案内して下さい」と私は言い、カードキーを彼に渡した。
部屋番号は816号室、最上階の8階である。 京都のホテルは高さ制限があり、東京や大阪のように高層のホテルを建てることができないのだ。
私は梨奈の家族が宿泊する二日前に、その部屋番号を押さえることに決めていた。 今回は3名で宿泊するため、本来ならエキストラベッド代が必要であるが、 私はその代金をいただくつもりは、まったくなかった。
予定通りに19時のバスに家族で大文字の送り火へ行かれ、21時30分頃に帰って来られた。 私はその日、部屋がオーバーすることなく、満室になったことで安心をしていた。
深夜0時過ぎのことであった。 本日のナイトスタッフの仲田が、
「小池様という若い女性のお客様が呼んでいますよ」と言った。
私はすぐにフロントカウンターへ出ると、
「どうかされましたか? こんな遅い時間に...」と私が言うと、
「今日はありがとうございました。両親も非常に喜んでくれて、さっきまで久しぶりに 家族と部屋でおしゃべりをしていました。最高の思い出になりました」と梨奈が言うので、
「それは良かったですね。私もすごく嬉しいです」
「おやすみなさい」と彼女は言って、部屋へ戻った。
その時、彼女は嬉しいはずなのに、私には彼女が少し悲しげに見えたことが気にかかっていた。
翌日の10時頃、梨奈と彼女の両親がチェックアウトに来られた。
「おはようございます。昨日はごゆっくりお休みになられましたでしょうか?」と尋ねると、
「おかげさまで、ゆっくりとできました。お花までいただき、ありがとうございました。 ほんとうにお世話になりました」と梨奈の母親が頭を深々と下げた。
「今回はご宿泊いただきありがとうございました。また、来年もぜひお待ちしております。 それから、もしよろしければ、お二人のご結婚記念日が、8月16日ということで 、この816号室のカードキーをお持ち帰りください」と私が言うと、
「ありがとうございます。そこまで考えていただいたなんて、私達誰もが気付いていなかったです」と梨奈の母親が言った。
「来年もぜひ、ここへみんなで来たいね」と父の洋が言うと、
「そうだね、また、家族で来ようね」と梨奈は少しうつむき加減で言った。 私には梨奈が涙目になっているのを、父に勘付かれないようにしているように見えた。
夏も終わろうとしていた9月下旬に、梨奈から手紙が送られてきた。
手紙の内容は、満室にもかかわらず泊めてもらったというお礼、そして、 残念ながら父の洋が、9月20日に亡くなってしまったこと....
梨奈の父が8月1日に再入院した時、医者から悪性の癌のため、あと長くて 2ヶ月と言われていたのだ。 しかし、最後に三人で思い出を作りたかったので、父の洋には内緒で母と相談をして、このホテルに宿泊をしようと決めていたとのことであった。 洋は亡くなる直前に、 「また、この前のホテルにみんなで行こうな」という言葉を残したそうだ。
そして、最後に父は苦しかったはずなのに、亡くなった時の顔は微笑んでいるように見えたと書かれていた。
梨奈は父親の遺言どおりに、毎年、8月16日に(大文字の送り火)梨奈と母親が 父に逢うためにこのホテルに宿泊をされている。
もちろん、部屋番号は816号室である。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
このお話は、携帯電話がまだ少ない時代で、現在のようにネット予約が少なく、ほとんどが電話予約だったのです。
現在もどこかで、当時の親子が元気で過ごされていることを願っております。
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