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彼女が東北に帰ってしまうなら、二人の別れは近いかもしれなくて、私にとってはチャンスだ。そう気が付きながら、何も行動出来ないまま、ある日彼に転勤辞令が降りた。東京本社への復帰だった。
「ご栄転おめでとうございます」
「おめでとう」
支社のみんなに囲まれて、花束を持ち、これまでで一番うれしそうな笑みを浮かべる彼を、私は遠巻きに眺めていた。その瞬間も、しっかりと切り取ってしまった。
東京に彼が戻ってからも何度かメールを送ってみたけど、そっけなく一言二言返ってくるだけで、やがては返信もなくなった。
彼が東京に戻ったことで、多分彼女は東北の地元に帰るのをやめたのだろう。一緒にハワイの新婚旅行に行ったのは、きっと彼女だ。二人はぎりぎりのところでうまくいったのだ。
「悟は、東京転勤になったら嬉しくないの? 栄転なんじゃないの」
駐車場に戻りながら聞くと、悟は首をかしげた。
「栄転なぁ。でも俺はここが好きじゃしね」
なんとなくさみしそうな顔を見ているうちに、そのまま助手席に乗り込んでいた。扉を閉めたあとで、気が付いたけど、乗り直すのも手間なのでそのままシートベルトをする。悟はこちらをちらりと見ただけで何も言わずに、自分もシートベルトを締めた。
「出発しますかー」
エンジンがかかる。悟は、サイドブレーキを解除する前に、一口飲んでからとばかりにコーラのふたを開けた。
ぷしゅっという小気味よい音と一緒に、コーラがあふれ出る。
「うおっ」
悟は慌ててペットボトルを体から離したが、ぽたぽたとコーラはこぼれ、すでにズボンには染みが出来てしまった。
「あーあっ」
おかしくなって、笑いながらタオルハンカチを渡した。
「あー、サンキュー」
へらへらと悟はハンカチを受け取って、適当にズボンを吹いた。
「すぐ乾くじゃろ」
「そうだね」
湿っぽかった空気が一気にからっとした気がした。ステレオからは、よく知らないアップテンポの洋楽が流れはじめる。悟だって、色々あって、小中学生では知らなかったような、新しい曲も聞くようになったんだ。
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