世界基準のあたりまえ?

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 地球はいっこしかなく、人跡未踏の地はほぼなくなりつつあります。大航海時代とか、戦国時代とか、植民地争奪戦時代は、過去のものです。先進国の勇敢な開拓者がきりひらいた未開の沃野は、よその誰かのたいせつな故郷にほかならなかった。国とか民族とか宗教とかいろいろあって、「あたりまえ」は多種多彩だけど、個人と個人でつきあってみると、たいがいは話の通じる「ふつうのひと」です。鬼でもなきゃ、蛮族でもない。家畜人でもない。  これがなぜか集団の一員になったり会社の歯車になったりなんとか族のひとりになったりすると、なぜか、いきなり個人としてのそのひとがどっかいっちゃうこともあるのが、ふしぎなんですがねえ。それはそれで別の話なので、ここではやめときましょう。  とにかく。ひとりのひととしては、みんな、ふつうにしあわせになりたくて夢をみる青少年だったり、家族をやしなうためにがんばってるお父さんだったりお母さんだったりする。  ないがしろにしていいひとなんて、いないです。  だから、誰かを踏みつけにして上によじのぼったり、搾取したり簒奪したりしてゼイタクしていいわけがない。そういうことが(先進国の特権とか、男性で家長ならそうするのが当然みたいなものとして)ゆるされていた時代は、おわっちゃった。  もうわかってなきゃならないはずですよね。      だからです。  「小さな差」とか「ひとさまとの違い」に無自覚無防備だと、まずいんです。  いつ、どんな、困ったことに巻き込まれるかもわかりません。  ほかのひとの気持ちとか、「うっかり勘違い」とか、「気がつきにくい小さなズレ」とかに、より敏感であること、そして、それに対して寛容で謙虚であることが、もとめられていると思います。  この文章を書いていたある日、お笑い芸人の「ひょっこりはん」さんがニュースで話題になっていました。ずっと使っていたBGMの著作権が問題になったそうです。     
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