安楽椅子の温もり

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安楽椅子の温もり

おおよその成人がしゃがんでくぐるような木戸は、古めかしいビルとビルの間にひっそりと構えられていた。 そしてその取っ手の近くには「一見さんお断り」の小さな札が、扉を開けることを禁じるかのように掲げられていた。 インドの神様か悪魔かみたいな顔したドアノッカーの形相が、これで音を立ててはいけないと語っていた。 ボクは極力音を立てないように、その扉を細心の注意をもって引いた。 深緋色の絨毯が敷かれた階段は地底へ続くかのようで、ボクの足音を掻き消し、薄暗い電灯は足元を照らしてくれるのみであった。 百段は降りたであろうかという頃、不意に右側から「お待ちしておりました」と声をかけられた。 身ぎれいにした給仕はボクのコートを迅速に、そしてていねいに剥ぎ取り、ついて来いと言わんばかりに颯爽と歩き出した。 長身、そして全体的に細身でありながら、体幹の強さが感じられる胸板が隠しきれていなかった。 ボクは小馴れた振りをして、給仕についていった。 絢爛たる大きな絵画を背にするように向き合って置かれた一対の肘掛椅子に案内され、ボクはどっかと座ってやった。 給仕は注文など聞かなくても分かっているといった体でその場を立ち去ろうとし、一歩踏み出さず、ボクの方に向き直るやしゃがむようにしてこう言った。 「ご存知とは思いますが、こちらは閣下が重宝しておられるものでございます。くれぐれも、お手を触れられることのないよう…」 「分かっているさ。」 ボクは多少不機嫌な振りをして、給仕が言い終わらないうちに返事をしてやった。咄嗟のことだったので、自分が思っていたよりも声を大きくしてしまったみたいだ。 暗がりの中、互いの顔は見えないようにいびつな配置になっているとはいえ、視線が感じられた。 「大変失礼をいたしました。」 給仕は深々と頭を下げてから消えた。 閣下が時間どおりに来るとは期待していなかった。むろん、ボクを呼び出したのはほかでもない閣下の方だったけれど。 ボクなどになんの興味があるというのか。利用されないように気をつけなければならない。からかわれるだけならまだマシだが。 ブランデーで唇を湿らせながら、葉巻から立ち上る煙を愛でながら、閣下の目論見をあれやこれやと想像した。
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