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ボクは、立ち上がるや否や、立ちくらみに見舞われたように身体を捩って、倒れ込むように椅子に座した。
これを避けることのできなかった給仕の悔しそうな顔といったらなかった。
ボクはこれ以上ないというほどに、得意げな顔をしていたに違いない。
けれど、なんだかボクは尻の下に温かみを感じた。
いや、だって、この約二時間、この椅子には誰も座っていなかったじゃないか。
ボクはブランデーの滴を舐めたとはいえ、酔ってはいない。
ずっと、この目の前の椅子には決して、誓って誰も座ってはいない。
だのに、なんだ、この、ついいましがたまで別の誰かが座っていたに違いないというほどのこの温もり、頬ずりしたくなるほどの温かみ。
と、ボクが椅子の温もりに包まれてしまいそうになったその瞬間、給仕の手がボクの方へと伸びてきた。
ボクは、これを避けるように椅子から飛び起き、一目散にその喫茶店から逃げ出した。
喫茶店を飛び出して、数百メートルも走り続けたろうか、息を切って、心臓に激しい音を立たせて走り続けた。
もうこれ以上は走れないというところで、スピードが落ち始めた。
走った汗なのか、戦慄からくる冷や汗なのか、ボクには分からなかった。
けれど、給仕の白い手、細長い美しい指先が思い出された。
それは、骨董屋のショーウィンドウーの中の「アレ」を指した閣下のそれにそっくりだった。
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