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島村は飲み進むうち酔っ払って、結婚して辞めるという件の同僚へのほのかな恋心をぶちまけ始めた。
彼女は年上で、仕事では厳しくておっかないくらいだが、毎日持ってくる手作り弁当がうまそうだとか、ふとした時の笑顔がかわいいとか。
今更そんなことを言ったところで仕方ないだろうと思ったが、本人も分かっているからクダを巻いているわけで、和伊は溜息を吐きつつも、そうかそうかと頷いておいた。
他人の恋愛話は無責任に楽しめるものではあるが、今はそういう話題は食傷気味で、結局和伊の酒はそこから進まなくなった。
楽しくなかったわけではないが、何となく疲れた。飲み直す気にもなれず、駅に足を向けたところで呼び止められた。
「和伊」
「……あー」
振り返ったら、井川が立っていた。上背があるから黒っぽいスーツがよく似合う。いつも通り、どこか冷めたような表情の井川の少し後ろには、同年代の女性が立っていた。
「彼女?」
付き合っている子がいるとは聞いていなかったが、一応訊ねた。他意はなかったが、井川はちょっと眉を寄せ、しかし何事もなかったように首を振った。
「違う。同じ会社の──この間話したろ、舞台のチケット」
「ああ」
「結局全部捌けなくてな。せめても空席はなくせって業務命令が出て、見に来た」
「そうなんだ」
「二人で来たわけじゃねえぞ。あっちにまだ何人かいて、これから飲みに行こうかって」
「……なあ、井川。言い訳しなくたって別にいいんだぜ?」
和伊が言ったら、井川は眉間に皺を寄せて数秒黙り込み、待ってろ、と言って女性のところに戻って行った。
同僚だという女性と話している井川を見ながら、和伊はさっきまで一緒にいた島村の言ったことを思い出していた。
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