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絵美子Ⅰ
夢の無い人生
1993年
中学から陸上を始めた夏月絵美子(かづきえみこ)は"自分の青春は陸上に捧げる"決意で部活にのめり込んだ。
絵美子は単純に走ることが好きだった。走ると言っても絵美子の速筋は平凡だ。つまり短距離走の才能は全くなかったし、運動神経も良い方ではなかった。その代わり絵美子には生まれ持ったある種の才能があった。
それは、何事も達成できるまでコツコツと同じことを繰り返しできる、忍耐強さであった。 何時間でも何日でも同じことをエンドレスに継続できる、といった、ある種の人間には耐えがたい苦痛を伴う作業を淡々と行える才能があった。
明らかに長距離ランナーの適正がある、中学の陸上部の顧問はそう言ってくれた。
長距離種目の代名詞ともいえるフルマラソンには絶対あきらめない根性と、毎日飽きることなくコツコツとコツコツと作り上げる肉体が必要不可欠だ。
絵美子の中学での記録はどの種目も平凡だった。しかし、タイムは堅実に伸びていった。派手に成績が上がることはなかったが、決してタイムは下がらなかった。
それでも、陸上の強豪校の目に留まるほどの記録ではなかったため、スポーツ特待生や推薦の声はかからなかった。
絵美子の家庭は裕福ではない。いや、正直困窮していたといっていい。母親は物心がつく前に絵美子を残して疾走しており、父親はお金にだらしがなくいつも酒浸りだった。
中学までは祖母が最低限、部活を含め学校で必要な物は買いそろえてくれた。しかし、その頼みの綱の祖母も中学3年の冬に往生された。これからは必要最低限のもの以外、特に部活で使うランニングシューズなどは自分で調達しなければならない。
高校は近くの公立高校を選んだ。地元の強豪校に進学し高校駅伝の出場を目指したかったが、とてもじゃないが私立の高校の学費は払えないので泣く泣く諦めたのだ。
それでも、絵美子は努力を惜しまなかった。毎朝6時に起床、早朝ランニングは週7日欠かさず行った。さらに学費の足しと部活に使う費用を捻出するために、アルバイトもしながら、食事も常に気を使い、カロリーや栄養バランスをしっかり考えたうえで経済的な事情も考慮しながら日々の食事はすべて自分で拵(こしら)えた。
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