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暖かい手
「枯れたいんだが」
そのお客さんは開口一番、奇妙な事を言った。
生成りの生地に、薄緑の植物の模様が入った着物に身を包んだ女の人。
顔立ちはよく見れば綺麗なのだけれど、伸ばしっぱなしの長い黒髪に隠れてよく見えない。更に雨にぐっしょりと濡れていては折角の器量も台無しだし、泥だらけの裸足なんて台無しどころかホラー映画の一幕に近い。
ホラー映画も怪談話も大好きな私だけれど、こんな雨の夜に一人で遭遇してたら、流石に悲鳴をあげていたかもしれない。
一人じゃなくて良かったー!そんな思いを抱えてくるりとカウンターへと振り返ると、そこにいるのは二人の男の人。
藍色の和風シャツ、黒のズボンに辛子色のエプロンと、そっくりな格好をしている二人。よく見れば顔立ちも似ているのだけれど、与える印象は全く違う。
「……とりあえずタオルだな、これは」
私から向かって左側に立つ男の人が、お客さんを頭から爪先まで眺めてから呟いた。
彼の名前は『左門』さん。このお店の店主の一人。
意志の強そうなキリッとした眉に、吊り上がった目尻。端正な顔立ちなのに、鋭い目つきのせいで人相が悪く見えてしまう。
ぶっきらぼうな口調で愛想笑いすら浮かべない左門さんだけれど、実はとても面倒見がいい。
「小春、奥からバスタオルを持ってきてくれるかな?」
今度は私から向かって右側に立つ男の人が、私の名前を呼んだ。
彼の名前は『右門』さん。このお店のもう一人の店主。
穏やかな目元に、微笑みを絶やさない口元。端正な顔立ちに物腰の柔らかい右門さんは気の回る人で、自由に振る舞う左門さんや、それに巻き込まれる私やお客さんのサポートに回る事が多い。
今も、奇妙なお客さんの登場で心拍数が急上昇した私を落ち着かせるために、さり気なくこの場を離れるように指示を出してくれる。
「はいっ。わかりました!」
私は右門さんに返事をすると、お客さんに一礼してからお店の奥へ向かった。
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