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「はーるね」
スーパーの調味料売り場でしゃがみ込んでいると、後ろから声が聞こえた。
振り返れば、腰下に赤のチェックのシャツを巻いた泰西がニコニコ笑いながら軽く手を振っている。
「部屋でおとなしくビール飲んでればいいじゃない」
「いーの」
「生徒たちに一緒にいるところ見つかったら恥ずかしいって言ってたのはどこの誰よ」
「さすがに今の時間うろつかれていたら羞恥より教師としての自覚が…。それに、もう隠す必要ないかなって」
「どうしてよ」
「あと少しすれば左の薬指に指輪を通すから」
サラッと恥ずかしいことを言う三十路の青年は、腰に巻いていたシャツをほどくと、あたしの隣にしゃがみ込んだ。
いつまでたっても自分のペースを崩さない泰西に、自然とため息が出てくる。
「ねー、なんで同じ物なのに値段がこんなに違うのかなー? うわ、この醤油886円だって! そっちの醤油はたった236円なのに、バーカ高い」
そんなあたしの苦労も感じていないのか、2つの醤油を大きな手で持つ彼は、二重のまぶたと桃色に染まる唇を大きく開けて驚いた。
黒いクセッ毛が目立つその髪があたしの視界に入り込むたびに、柔らかな匂いが鼻をくすぐる。
「人の前に立つ者は匂いも素敵でないといけないのだ! に お い! だ い じ!」と、少し前に言っていた彼がつける香水の匂いは甘酸っぱいマスカット。
彼の思惑通りなのか、それとも意図せずなのか、その匂いに誘われた蝶たちは、無条件に彼のファンになりつつある。
思春期の少女たちにとって、未婚の男性。
加えてイケメンで優しくて誠実。
極めつけは「倒産」を知らない、今の時代結婚したい職業の頂点に立つ公務員は、中々好条件の恋愛対象になるらしい。
実際、「勉強」という素晴らしい武器を持った女の子たちが彼の連絡先を聞き出し、毎日のように連絡をしてくるのだ。
あたしが学生だったときのタブーが、ここ最近若者の絶大な共感を得る小説や漫画の題材になっている姿もよく見かける。
ああ、そうそう。
若い女の子たちはこの言葉が大好き。
「禁断の恋」。
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