1枚の絵

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 満席になっていたシアターから出てきた東条司はLサイズのポップコーンのバケツを係員に返した。 「いい映画だったわね」  じゅうたんの柔らかい感触を踏みしめながら中村美由紀は司にそう言って笑いかける。 「うん。特に最後、主人公が歌ったバラードは圧巻だった。涙が出そうだったよ」  司はそう言いながら美由紀の左手に指を絡ませ、ギュッと握った。 「そういえばさ、はじめて一緒に映画を見に来た日は私、本当にドキドキしてたんだよ」  美由紀はそう言って手を握り返す。司の手のぬくもりが美由紀の指と指の間に伝わっていった。  司と美由紀が出会ったのは1年半前のこと。美由紀が勤務していた県立第一高校に司が国語科の教育実習生としてやってきたときだった。司より6つ年上の美由紀は司の指導教官で、司の板書計画や発問計画の相談に乗ったり実習授業に対してのフィードバックを行ったりしていた。密な時間を共に過ごす中、司と美由紀はともに当時ヒットしていた映画をまだ観ていないという話になった。そこで司は教育実習が終わる日に意を決して美由紀を映画に誘ったのだ。  初めて映画に来た日のことは司もよく覚えている。1つのバケツに入ったポップコーンを食べるときに美由紀と手が触れた。そのとき 「あっ……」  と小声で言いながら手を引っ込めた。スクリーン以外の光が全て消された空間であったことがせめてもの救い。もし煌々と光が灯っている空間だったら紅潮した顔も、緊張で震える足元も丸わかりだっただろう。  司はそんなできごとを昨日のことのように思い出しながら、ショッピングモールの構内へと歩みを進めていった。
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