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「君は国語の教員免許を持っていたな?」
「はい」
「ならば鴨長明の方丈記の冒頭は知っているな?」
「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、という文言だったでしょうか」
司が答えると、正は深く頷いた。
「君は確かに、今は美由紀を愛しているかもしれない。でも、変化しないものなど世の中にはない。そう。永遠の愛を美由紀に誓った男がたった2年で他の女と逢瀬を重ねたようにな」
司はじっと正の顔を見つめている。
「君はまだ若い。美由紀以外にもいい人はきっと見つかるはずだろう」
「いや、ですが……」
「これ以上私は、美由紀が苦しみ、悲しむ姿を見たくないんだ」
司の言葉を遮るように、正は言葉を絞り出した。
「美由紀が前の夫と別れたとき、涼はまだ4ヶ月だった。夫は別れた後、養育費も入れぬままどこかへと消えてしまったよ。永遠の愛を誓ったのになんたるザマだ。幸いなことに美由紀は教師だから収入は安定している。しかし時間外労働が当たり前の教職と手のかかる息子がいっぺんにかかってきてはひとたまりもなかった。妻が美由紀のアパートへ押しかけて世話を焼かなかったら、今は2人ともどうなっていたか」
正の言葉に司の背中がゾクリとした。美由紀がそばにいることがあたりまえになっている司にとって、美由紀がこの世にいなかったかもしれないなどということは考えたくなかった。
「美由紀との結婚を認めることはできない。もし君の中にある美由紀への愛が本物なら、別れてやってくれないか」
無言の書斎に遅鳴きの蝉の鳴き声が響き渡った。
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