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ひまわり
彼女は、離れたところから、どうぞ、という手を見せ、いつものように微笑んでくれた。会釈をかえし、適当な席に着けば、わざわざ注文しなくてもほどなく珈琲が運ばれてくるはずだ。
彼女は「佐々木」というネームプレートをつけている。
佐々木さんのいるこのファミレスは、いつも、僕の読書を快適にしてくれた。
髪を後ろに束ね、微かな笑みを湛え、いつものように珈琲を運んでくると、
「ごゆっくりどうぞ」
と伝票を置いていく。
キリッとした顔つきに戻り、フロアーにもどって、客のいなくなった席を整えたり、トレーに載った皿やグラスを下げたりする。
おかわりが欲しくなったときは、フロアーにいる佐々木さんの姿を追うだけで事足りた。すぐに気がついてくれて、少し微笑み、ほどなく注ぎにきてくれる。
佐々木さんの微笑みは僕の苦い日常にミルクなのだ。
けれど、ときどき、ふと佐々木さんを見ると、萎れたひまわりのような表情をしていることがある。やるべき仕事がたくさんあって、たくさんあるのに、あっちの席からもこっちの席からもひっきりなしに呼び出しの音が鳴っている。そんなとき、僕は少しだけ悲しくなる。
梅雨明けの知らせがそろそろ届きそうな、ある休日の午後だった。
部屋で本を開いて、向かいのトタン屋根から雨樋に伝わって落ちていく雨音を聞くともなしに聞いていた。
こんな日だから、出かけようとは少しも思わず、このまま、今日は家でゆっくりしていようかと思っていた。
ところが、ふと、知人の押し花作家から、個展の知らせが来ていたことを思い出した。
ハガキを見たら今日で終わりらしい。
それで出かけた。
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