偽りの記憶と本物の涙

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 俺は素晴らしい女性と付き合ったことがある男だ。どうだすごいだろう。通り過ぎる他の男たちが小さく見えた。道行く全ての人々に自慢話をしたくなった。  しかし三日後、男は苦しんだ。自分の思い出に。  どんな女性を目にしても、記憶の中の彼女には遠く及ばないと気付く。欠点ばかりに目がいってしまう。好きになる前に背を向けてしまう。  今までと変わらないじゃないか。  そればかりか、キラキラした思い出が男の心を刺した。電車でつり革をつかんでいる時、一日の終わりに布団に入った時。ふと目を閉じると、彼女のことばかり浮かび上がってきてしまう。抱きしめたぬくもり。かけてもらった優しい言葉。  もう一度、ただ一度だけでいい。彼女にまた、会いたい。  でもそれは無理な願いだった。記憶の中の彼女は作られたもの。名前はあるが住所は無い。思い出はあるが電話番号は無い。  彼女は二度と会う事のできない星より遠い存在。それを一番分かっているのは自分なのに。  クローゼットの中身を全部出しても、ゴミ箱を目茶苦茶にひっくり返しても、彼女はどこにもいなかった。  男は痩せ、背中はますます丸くなった。  男は気付いた。  彼女と別れた思い出が無いのがいけないのだと。  思い出を何度再生しても、最後はいつもぼんやりとしていた。     
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