偽りの記憶と本物の涙

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 俺は彼女とどう別れたのだろうか。彼女は死んだのか。彼女が浮気をしたのか。取り返しがつかないケンカをしたのか。分からない。  理想だけを詰め込んだために、彼女との最後の痛みが、男には無かった。  先に進むためには決別が必要だ。  男は彼女をあの世に送る決意をした。どうせ会えないのだから、永遠に手の届かない存在にするしかない。そう考えた。そうすることでしか彼女を忘れられないと思った。それほど彼女の存在は男の中で大きくなっていた。  男は再び記憶を売ってくれる会社へ向かった。しかしいざ会社を前にすると、もう一人の自分が語りかけてきた。 「本当にいいのか?記憶を消すことはできないんだぞ」 「さよならを言えば、もう二度と彼女との思い出を作れなくなる」 「つらい記憶をわざわざ作る必要なんてあるのか?」  男は会社の前を何度も行ったり来たりした。ぶつぶつと独り言を吐きながら。  やがて男は決意を固め、受付の女性に言った。 「彼女に、別れを言いに来たんだ…」  不治(ふじ)の病にかかった彼女。その手を握り続けた半年間の記憶を男は願った。  それは笑顔の少ない思い出。目を背けたくなるほどの悲しみ。     
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