偽不良くんと体育祭

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◇ ◇ ◇ 着いた場所は一ノ瀬の部屋だった。もちろん寮に生徒がいるわけもなく、誰ともすれ違うことなく到着した。 今更逃げようだとか考えていなかったが、最後まで腕は掴まれたままだった。だから部屋に入った瞬間その手を離されて、一ノ瀬が自分の個室へと行ってしまい一人で少し心細くなったのはそのせいだ。 「シャワー貸すから入ってきなよ」 一ノ瀬は自分の個室から出てくるなり俺に着替えを手渡した。一ノ瀬がスウェットを持っていることに驚いたが、俺が持っているものとは違って肌触りが凄く良くて高級そうなものだった。 「……うん」 一ノ瀬の優しさに触れたことなんて無いはずなのに、なぜかこれが初めてではない気がした。俺はスウェットをギュッと抱えて頷き、浴室へと向かった。 ウィッグを取って俺が着ても気持ち悪い服を脱いで綺麗に畳む。ふと鏡に映った自分を見ると、頰はほんのりピンク色で睫毛が伸び、唇が赤くなっていて女顔に磨きがかかっていた。 「早く洗おう…」 ─ ザアァァァ シャワーを浴びながら、さっきの光景が鮮明に頭の中で繰り返される。視線や声、自分に向けられる全てに恐怖を覚えた。 もうあんな思いはしたくないのに。 だけど、あの時のように泣かないと決めたから。強くなると誓ったから。絶対に涙は流さない。
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