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「矢野、もしかして…」
そこまで口にすると矢野はピクッと眉を動かして徐々に焦ったような表情になる。仕事の疲れかストレスなのかそれともプライベートのことなのか。何がそうさせるのかはわからないが、生徒の俺が踏み込んで良いことではない。
「はいっ」
「…は?」
「いいから手出して」
俺はポケットの中に入っているものをいくつか掴んで、そのまま拳を矢野に向けた。いつもは見せない戸惑った表情が面白くてクスクス笑うと、矢野は渋々手を差し出してくれた。
「その顔、糖分足りてないと思って」
俺より大きい矢野の手を両手で包んで、袋に入った飴を3個くらい握らせた。戸惑いを見せていた矢野は小さくため息を吐いて、少し表情が柔らかくなった。
「ビビらせんな、爆弾かと思っただろ」
「そっちの方が良かった?」
「阿保、明日から夏休みだからって調子乗ってんな」
教師である矢野は無条件で俺を助けてくれたり、背中を押してくれるけど、生徒の俺ができることと言ったらこれくらいしかない。
「じゃあ矢野も夏休み楽しんで」
「残念だが明日から補修だ」
「…疲れた時はウナギがいいらしい。」
「そうか。土産によろしくな」
「なっ、俺の家は代々貧乏暮らしをしていて、だから俺は成績優秀者で学費免除されなきゃいけなくて…」
「わーってるって。冗談、冗談」
そんな他愛もない話をして矢野は職員室、俺は教室へと戻っていく。少しは元気でたかな、なんて思いながら振り返ると同じタイミングで矢野も俺を振り返っていてドキッとする。
「高嶋、サンキューな」
「あ、うん…ドウイタシマシテ。」
俺があげた飴を握った手をユラユラ揺らしながら、目を細め優しい笑顔で礼を言われた。そう。あの矢野が優しい笑顔で、だ。それを見た俺はきっと呆けた表情だっただろう。
「こんなもんばっか食べて太らねぇようになー」
「一言多い!!!余計なお世話だ!」
時々ムカつくことも言ってくるけど、やっぱりこの矢野が1番落ち着くんだよな。さっきの笑顔はなんだか、ソワソワ落ち着かなくなるからやめて欲しい。
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