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「瑞樹、菊竹さんの家見た?」
ただいまの返事がお帰りでは無く、母さんの第一声はこれだった。パート先でも散々その噂話をしただろうに。まだ目を輝かせ、自分が知り得た情報を早く披露したいと、口と手を忙しなく動かしている。
「見たよ、出勤の時に。あの家で残っているのって、藤次の妹の美羽ちゃんだけだけど……確か美羽ちゃんって名古屋の親戚に引き取られたんだったよな。もしかして美羽ちゃんが戻ってくるのかな」
僕の予想は外れたらしい。母さんの誇らし気な笑みが、そう物語っていた。
「違うわよ。美羽ちゃんじゃないの。あそこに住むのはさ、あの子よ」
早く言いたい癖に、わざと勿体振る母さんの言い回しが、僕は嫌いだった。
灰になる寸前だった心臓に、今朝ようやく温かな血液が巡った感覚が湧いてきたというのに。母さんの下らない駆け引きの所為で鈍ってしまいそうだ。
「あの子って……誰?」
「誰だと思う!?」
「いや、分からない」
つい、苛立ちの混ざった素っ気ない言葉が出てしまった。しまった、と慌てて顔色を伺うが、母さんは全く気にしていない様子だった。
(母さんのこの図太さ、ある意味有難いよ)
「ふふふ、おばちゃん達の噂情報は凄いんだから! 実はね、あそこに越してくるのは、萌絵ちゃんらしいわよ。萌絵ちゃんが家の中に入って行くのを見たって坂上さんが言っていたの」
「え……!?」
その名前を聞いた瞬間、奥底へ意図的に仕舞っておいた彼女の記憶が、激流の如く押し寄せて来る。衝撃が隠せない僕の顔を見て、母さんは明らかに満足そうだった。
「驚いたでしょー。萌絵ちゃんがこの町に戻って来るなんて、私もビックリしたわよ。あんな事があったのに、よく帰って来る気になったわよね」
何か言おうとしても、言葉が全く出て来ない。暴力的に蘇る『あの出来事』。
(垣岩が?! 何故、帰ってきたんだ! しかも選りに選って藤次の家に!)
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