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その夜、両親とあと少ない家族団欒を
過ごしている時でした。
ユキエちゃんの話題になって
「ユキエさんはウチがやってた遊郭へ
16くらいの歳で売られてきたんや、
あの食堂で働いてたオバチャンらも」
初耳でした。
「親父は帝大出のインテリやったからな、
自分とこの稼業とそれで飯食うてる
自分が嫌いやったんやろなあ」
毎日難しい顔で、無言で本を開いていた
祖父を思い出しました。
「廃業のときに行く先のある女の人は
よかったんやけどなあ、
多くは家があっても帰れんでな」
「家族のために“売られた“のに、
“恥ずかしい“て帰れんもんねえ」
母は嘆息をひとつ。
「親父は堺港に食堂作って皆に
“食いもん“商売を教えたんや、
独立させたり、」
「せや、私が嫁いできた時分に
お客さんの後添えさんになった人も
いてはりましたなあ」
「あったなあ、でもほとんどが
“この世に楽園のない女“やから、
『墓まで面倒みるんや、ワシが死んでも
それだけは頼む』って親父の遺言」
「へぇ・・・それで今まで」
「まあ、それだけやないな、
皆、エエ人やった」
確かにいつ食堂へ言っても可愛がって
もらった思い出があります。
「私も戦後生まれやし、生活に困らんと
暮らしてこれたから、
“売られてくる“なんて
よう解らんのやけど、帰る家も、
好きな人との結婚もない女の人生は
寂しいですよ、あなたも
“当たり前“に思わんと、
この結婚を大事にするんですよ」
「・・・はい」
よう解らんと返事したその夜を
親子三人、よく憶えています。
明け方・・・
ホームからユキエちゃん危篤の電話が
鳴りましたから・・・。
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