楽園 3 カモメ、宿無し。

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楽園 3 カモメ、宿無し。

大阪が『大坂』と呼ばれていた時から計算 すると三百年以上前からになりますが、 ウチは遊郭を生業にしていたそうです。 太平洋戦争の後、祖父はプッツリ廃業。 不動産業という名の“世棄て人“になり、 泉州の山裾に移り住み、 その後、父が跡を継ぎ、賃貸や飲食チェーンなどを手掛けました。 その中にあった堺港の『食堂みなとや』。 これが異彩というか・・・ 「赤字では?」的だったのですが、 「おはようさん、今日も頼むで」 ただそれを言うために、大阪市内の事務所へ通う時、父は堺で高速を下りて寄るほど、 その店と働いてくれているオバチャン達を とても大事にしてました。 戦後祖父が建てたものでしたから、 私が物心つく頃には建物も オバチャン達も、ついでながら 常連さん達も老朽化が始まっていて、 15年前に惜しまれつつも、閉店。 ラスト3人になっていたオバチャン達は、 ウチの近くの大阪湾を望む老人ホーム 『楽々園』で余生・・・ 一人二人と亡くなって・・・ 「ユキエちゃん、久しぶり」 私ら家族は子供の頃から食堂のオバチャン達を名前で呼んでいました。 「不自由はない?」 母もまるで自分の親を見舞うようでした。 「ありがとうさん、守社長のお陰で  楽な老後させてもろて、  邦ちゃんにもようしてもろて」 守は父で、邦ちゃんは母です。 「来月やな、結婚式。  立派なエエ人らしいなあ」 「ありがとう。30前でようやく売れたわ」 「もうそないな年やったんやなあ、  そらそやなあ、食堂の生き残りは  私だけやもんなあ」 「残りついでにもうちょい長生きしいや」 「ほんまやな、真那ちゃんの赤ちゃんも  抱きたいなあ、そう、これ、御祝い」 「ありがとー、助かる、助かる!」 「なんですの、行儀悪い!  ユキエちゃん、気を遣わせたわ、  ありがとうございます」 「ちょっとやねん、ちょっと。  私には家族はないもん、  してやれる人がいて嬉しいわあ」 そういうとユキエちゃんは窓の外の カモメを見て、 「ホンマ、港のカモメ人生や、  帰るとこなしやった・・・」 枯れてしまいそうな笑顔でした。
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