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1 - Discovery
立ち入れない森には隻腕の鬼神が棲んでいる。
そんな話を聞いたのは、いつ、どこだったか。
最初に聞いた時は、眉唾にも値しない作り話だと、気にも留めなかった。
だが森に入った瞬間、思い出した。
隻腕の鬼神は、確かにここにいる。
暗い森の中を走る足音、それを追っているらしき歩く足音が騒がしい。追われている側は全力で走り息を切らしている様子だが、追う側の歩き方は余裕の様子が窺える。
「あっ…」
追われている側が、暗闇の石に躓いて前のめりに倒れる。やがて追う側の足音が次第に近付く。追われている側の躓いた男が怯えきった表情で振り返ると、追ってきた男の見下す冷たい目線が突き刺さる。暗い森の中よりも濃い闇を湛えた目の持ち主は、右手に持っていた得物を振り下ろした。
「やめっ…」
懇願する声は鈍い音に遮られ、命乞いも空しく、追われていた男は絶命する。
振り下ろした得物の狩猟ナイフを抜き、刃先についた血を指で拭う。それを眺める男の口元は、微かに緩んでいた。
ふと人の気配と視線に気付き辺りを見回すが、辺りに生きた人間の姿はない。
彼が日々他者から感じるものとは明らかに違うその気配は、滅多に開かない口を開けさせた。
「…誰だ」
気配の主は押し黙ったまま応答しない。ただ変わったのは、気配が彼に関心を持ち出したことだけである。開いた口を再び閉ざし、男は気配のする方をじっと見つめた。
「それはこっちのセリフだ」
気配の主の声か、見つめる方向から返答が届く。澄んだ低い声はどこか不安定で、声の主がまだ若いことを教えた。
「今お前が殺した奴を殺すのが今日の俺の仕事だった。そいつは他にも恨まれるような真似でもしていたのか」
「…知らないな」
男は足元の遺体を見下ろした。声の主が狙っていたというこの男は知り合いでも何でもない。彼の『領域』であるこの森にたまたま迷い込んだだけである。
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